2013年7月29日月曜日

「スターシップ・トゥルーパーズ」はふたつの顔を持ち続ける

ポール・ヴァーホーヴェン監督の「スターシップ・トゥルーパーズ」は、ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士」を映画化したものだ。



1959年に書かれた「宇宙の戦士」は、冷戦まっただ中の世情に絶望したハインラインが、こんなことなら「理想的な」軍部独裁ってのも考えてみてもいいんじゃないかという、ファシズムによるユートピア小説を真面目に書いたものだと聞いたことがある。

しかし現代の我々がこの作品を読むとき、それはどう読んでも「1984年」の系列に連なるディストピア小説にしか読めず、ヴァーホーヴェン版「宇宙の戦士」も、皮肉たっぷりに描かれたディストピア映画に見える。

ポール・ヴァーホーヴェン監督は、オランダがナチス占領下にあったハーグに生まれた。5歳の時に連合軍がドイツ本土を爆撃するために飛行していく中隊が、深夜、上空で対空砲火で撃ち落されていく様子などを見て、そのスペクタクルに興奮する。
しかし、飛行機はハーグにも墜落し、父親と堕ちた飛行機を探しに行った先で、ドイツ兵たちがバラバラに飛び散った肉片を拾って小さな箱に集めているのを見て、戦争の現実に強いショックと嫌悪感を抱く。

やがてその戦争は終結し、人類は大きな教訓を得たはずだが、どっこい紛争は無くならない。自分を映画監督にしてくれたアメリカも、パナマ、ベトナム、ニカラグアといったあらゆる紛争地域に介入し覇権を広げようとしている。

だからこの映画は、ファシスト国家の軍部によって作られた戦意高揚のプロパガンダ映画を念入りに茶化したような作りになっているのだ。


僕らの国も、長い間文化的影響を受けた隣国たちと領土に関する認識の違いからトラブルを抱えていたりする。
現政権は、彼らが攻めてきた時に充分戦えるような徴兵制を敷くための布石を打っているように見えるし、選挙の結果を見る限り国民はこの政策を支持しているようだ。

人類の歴史は、まるごと戦争の歴史と言ってもいいほどだが、人類全員を何度も殺せるような兵器を作れるようになった時代の大きないくつかの戦争を経て、僕らの国は戦争を放棄する画期的な憲法を手に入れた。
しかし、その英断は再び無に帰そうとしている。

もちろん国内には異論を唱える声も大きいが、戦争はやめようと声を上げれば、しかし実際に隣国が攻めてきたらどうするのだと諌められる。
もし愛する家族に命の危険が迫ったとして、僕にできることがあるのなら、死を賭しても愛する家族を守りたいと思う。
そのような状況が現実のものになったとき、この作品はハインラインが想定した意図を取り戻し、いっぺんにユートピア小説に姿を変えるのだろう。


きっとどちらが正しい、ということではない。
しかし、このような物語が我々の中に常に二面持って存在し続けているということを忘れずにいたいものだと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿