2013年7月12日金曜日

「真夏の夜のジャズ」に封じ込められた幸福な記憶

「真夏の夜のジャズ Jazz On A Summer's Day」 1958年(日本公開1959年)
(監督)バート・スターン Bert Stern、アラム・アヴァキアン Aram Avakian
(制作)ハーヴェイ・カーン Harvey Kahn、バート・スターン
(撮影)バート・スターン、コートニー・ヘイフェラ、レイ・フェアラン
(音楽)ジョージ・アヴァキアン


1958年に、ロード・アイランド州ニューポートで行われた第5回のニューポート・ジャズ・フェスティバルを、気鋭の写真家バート・スターンが切り取った幸福の記録。

7月3日から6日までの4日間カメラを回し続け、トータル24時間分のフィルムを撮り、80分にまで刈り込まれたゆえに、その時代の記録は儚い輝きを放っている。

だからそこには、この後も図太く自らの音楽を追求していくマイルズ・デイヴィスの姿も、ブロウ一発でそこにロリンズしか見えなくなる、時代にまったく左右されないトーンを持つソニー・ロリンズの姿もないのだ。


翌1959年のキューバ革命で喉元にナイフを突き立てられることになるアメリカ。
人種差別の撤廃を求める公民権運動は盛り上がりつつあり、ワシントンでの大きなデモ行進が行われたのはこの1958年のことだ。
アメリカの国内は、いよいよ混乱の時代を迎えようとしていた。
そして、アメリカにとって屈辱的な敗北となるヴェトナム戦争もいよいよ始まろうとしていた。

だからこそ、まるで南仏を思わせるリゾート地ニューポートに集まった白人の聴衆のファッションが、非現実性をまとって僕らに強い憧憬の感情を掻き立てる。

セロニアス・モンクの名曲「ブルー・モンク」が流れている。
ギンガムチェックのワンピースの上に羽織った赤いサマー・カーディガンの前を深く合わせて、その上に腕を組んで睨みつけるようなしかめっ面でモンクのピアノを観ていた女性が、演奏が終わった瞬間、パッと花が開いたような笑顔を見せる。

なんという幸福の切り取り方なのか。
その幸福感はコンサートの会場だけでなく、街中の映像やヨット・レースのシーンなど、すべてに満ちあふれている。

アニタ・オデイのその後を考えれば、ここでの「スウィート・ジョージア・ブラウン」「二人でお茶を」のチャーミングな名唱は貴重だ。
チコ・ハミルトンの「ブルー・サンズ」で観ることの出来るエリック・ドルフィーの演奏シーンこそはこの映画の、というよりはこの年のジャズのハイライトシーンだったろう。


この映画は幸福な時代の「幸福な演奏者と聴衆」をとらえている。
ここで我々はひとときの「真夏の夜の夢」を見る。

たとえそれが永遠に続かないものと知っていても、それなしでは生きていけない。
それが夢だし、それがジャズだ。
そう思う。

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