2015年4月24日金曜日

条文万能主義という思考停止、あるいはヒーローを希求するということ〜キャプテン・フューチャー第六巻「謎の宇宙船強奪団」

NHKのデレビアニメ版ではスペシャル扱いだった本編は、実に映像的な作品だ。
手に汗握る展開の宇宙レースやストップモーションの世界を泳ぐように繰り広げられる逮捕劇など、頭のなかにはっきりした映像が浮かぶ。
またアニメ版ですっかり有名になった「おいらは淋しいスペースマン」という名挿入歌もこの物語でグラッグが歌うものだ。


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さて、前作「太陽系七つの秘宝」で、非常に魅力的な敵性女性キャラクターであるヌララが登場したことを受けてか、本作ではジョオン・ランドールの積極性が格段に前面化しており、すぐ敵に拉致され救出される守られるヒロインとしての立場から、熱心な追っかけにジョブチェンジしている。相変わらず事件解決への貢献度は低いものの存在感は増している。

物語は、水星の新造宇宙船のテスト場から飛行テスト中の宇宙船が忽然と姿を消す事件が多発するところから始まる。
今までの作品が「宇宙の危機」を扱っていることを考えると、私企業の倒産の危機を救う本編のスケールは小さい。しかし現代の我が国の改悪され続けていく税制や労働関連法規が大企業の経営者の意思の反映であることを考えれば実にリアルだ。

リアルといえば、宇宙船建造会社の経営者が作ったカジノ小惑星にはいろいろ考えさせられる。太陽の周りを回るすべての天体に適用されると規定された太陽系憲章を出し抜くために、強力なジェット噴射で公転を止めた小惑星を作ればいいというロジックはバカバカしくも見えるが、実際法の抜け穴を突くというのは万事こういうバカバカしさを内在しているものだ。

条文万能主義はある種の思考停止だが、権力の魅力に腐敗しがちな人の王のかわりに法という名の人造の王を戴いた近代社会の限界がここにある。

これを超法規的に乗り越えていくキャプテン・フューチャーのような存在を物語に求める気持ちの源泉も、人間の社会が硬直化していく中でいや増していく、正直に生きていることで損をしているような気分の中にあるのではないか。


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2015年4月18日土曜日

SFのリアリティを損なうものと、翻訳文体の問題~「レッド・ライジング」

新人作家ながら草稿で映画化までの契約を勝ち取ったというピアース・ブラウンの「レッド・ライジング」はそのエピソードに違わぬ魅力を持った作品だった。

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これほど物語世界に没入できた小説に出会ったのは、おそらく「ミレニアム」以来だと思う。

ラスト100ページくらい、文字通りの「息もつかせぬ」展開で本当にちょっと酸欠気味になった。
最終ページまでまったくスピードが緩まないので、読了後に大きく深呼吸したくらい。

戦闘のスペクタクルと心の葛藤を同じスピードで書けるこの作家が新人だとはにわかには信じられない。
しかし完璧というわけでもない。
「歴史上の人物の発言を引用すると必ずリアリティが損なわれる」ので、そこをどう処理するかというSF特有の流儀に無頓着なところがあったりもする。
SFはこの現実世界の延長を描いたものであっても、かならずそれ以降の大きな社会変化を前提として持っている文学形態である。
言語は社会に強い影響を受け、大きく変化するものだ。
その変化に晒された者たちが、僕らの知っている昔話を同じ意味合いで使うという事態には強い違和感を感じる。
その感覚を持つSF作家は実にたくみに神話や故事を引用するのである。
たとえばダン・シモンズのように。

そういえば、士官養成学校で寮同士の争いが描かれるので、エンダーのゲームとかハリー・ポッターの類似性が指摘されているが、このレッド・ライジングという小説のストーリーテリングのイメージは圧倒的にダン・シモンズの「イリアム」「オリュンポス」に近い。

骨太なのである。
それだけに、翻訳がなぜか現在形主体の特殊な文体を採用しているのが気になる。
村上春樹がアフターダークと多崎つくるで使ったあれだ。

この文体が生む「帰属感の希薄さ」や「浮遊感」は本当にこの物語に必要だったか。
語尾のバリエーションが極端に制限されるデメリットばかりが目についた。

2015年4月11日土曜日

この作品が「ルパン三世」というズバリのタイトルでいいのだろうか

実写版「ルパン三世」を観ました。
しかしこのタイトルは何なんだろう。
映像作品だけでもオリジナル3シリーズにたくさんの劇場版、TVスペシャル、優れたスピンオフが複数あるのに、ズバリ「ルパン三世」とは。
これが決定版であるとでも言うつもりか。

小栗旬のルパン三世については、特に申し上げることはない。
メインキャストの中では玉山鉄二の次元大介が一番カッコよかったかな。
綾野剛は、いつも通りで、まあ何を演じても何かを演じている綾野剛のままだった。

黒木メイサの峰不二子は、予想以上に健闘したと言っていいと思う。
だいたい、森雪と峰不二子というキャラクターは、現実に置き換えないからこそ成立するアイコンとして設計されている。
そういう役に抜擢されているという事実が彼女の女優としての評価なのだろう。

映画全体を通じて古臭いイメージを感じるのは、たとえば兵士が爆弾にふっとばされているシーンでの体の動きがありのまますぎる、というような不作為のせいだ。
マンガやアニメに見られるようなデフォルメされた動きを作りこむことで、ホンモノでないからこそ感じられるリアルが標準になった今、どうしてもこの映画の動きはやっつけ仕事に見えてしまう。
CGで何でも出来てしまう今、リアルの定義は明らかに変わりつつあるのだ。


不幸な条件もあった。
「峰不二子という女」という先行スピンオフがあまりにも良く出来ていたため、峰不二子の過去を改変する、というこの映画の(唯一の)シナリオ上のフックが無効になっている。
またこの「峰不二子という女」という作品、ジャズがホンモノだった。
菊地成孔が作り出した、ルパンのジャズ。

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それにひきかえ、小栗版ルパンのジャズが中途半端なことといったら!
それっぽいシーンに挿入されただけでは、いくらフレーズがジャズっぽくても、それはジャズっぽい音楽であるというだけだ。
全体を通底するテーマが流れていなければ。
その意味では布袋寅泰のテーマ曲も有効に機能していなかった。

この映画をプロデュースした人間からは、ルパン三世という長い歴史を持つ作品に対する敬意のようなものも感じられないが、もっと基本的なところで作品作りというものを甘く考えているのではないか、という気がしてならない。


よかったところもある。
映画でメイサ不二子の乗ってるバイクがハーレーじゃなくてYAMAHAのVMAXだったことと、ルパンのフィアットが古いチンクエチェントじゃなくて、新しいチンクだったこと。


ちょうどいいんだよ、そのくらいが。
カタチだけ真似ても仕方ないんだ。

あと、最後に銭形が追っかけるシーンで古い国産車が使われてるんだけど、その中に初代のチェイサーがあって、それもよかった。


だってベタでしょう。チェイサーで追っかけるなんてさ。
そのくらい自虐的にふざけてくれないと、ちょっとやりきれないよ。この映画。

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2015年4月9日木曜日

フォーシーズンズの光と影~「ジャージー・ボーイズ」クリント・イーストウッド

フォーシーズンズの名前を初めて知ったのは小学校4年生の時だった。

当時学校ではベイ・シティ・ローラーズが流行っていた。
クラスメイトのお姉さんが持っていた3枚のアルバムを録音してもらって、自分のラジカセで何度も聴いて歌っていた。そのうち自分でもあの大きなジャケットに収納された丸いレコード盤が欲しくなって母におねだりした。
とはいえ、当時我が家の音響機器はナショナルのラジカセだけで、レコードプレーヤーはなかったのだ。

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父はあまり音楽に興味がない人だったが、翌日東芝のモジュラーステレオを買ってきてくれた。肝心のレコードは、母と一緒に当時釧路で一番大きな百貨店だった丸三鶴屋のレコード売り場に買いに行った。
そこで買ってもらった「ニュー・ベスト」というベスト盤の最終曲として収録されたバイ・バイ・ベイビーのオリジナルがフォーシーズンズだったのだ。

その後、例の「君の瞳に恋してる」を何度もラジオで聴いて、フランキー・ヴァリの名前も聞き知ってはいたが、その人がフォーシーズンズのリード・ヴォーカルだとはずいぶん後になってから知った。

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そのフォーシーズンズの伝記的ミュージカルをあのクリント・イーストウッドが映画化すると聞いては黙ってはいられない、と言うわりには結局劇場には行かずDVDでの鑑賞となった。

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しかしまあ、クリストファー・ウォーケンが出てくるだけで、画面の中の人間関係に奥行きが出てくるのはどういう仕掛けなんだろう。映画によってさして演技を変えているようには見えない。
彼自身の人柄のなせる技なのでしょう。いつもどんな役をやっても彼自身はクリストファー・ウォーケンにしか見えないのだから。
「ディア・ハンター」以外では、「ヘアスプレー」や「25年目の弦楽四重奏」といずれも音楽系の映画でお逢いすることになったので、何か音楽とのご縁があるのかなと思って調べたらもともとミュージカル俳優だったのですね。

BCRがカバーしたバイ・バイ・ベイビーと君の瞳に恋してるしか知らなかったが、ボブ・ゴーディオという才能あふれる作曲家の音楽をこれまで聞き逃していたことが残念になるくらい、映画は素晴らしかった。
ある意味優等生(ベビーフェイス)的な音楽だが、映画で描かれた彼らの人生は順風満帆とは対極の壮絶さだった。
マフィアとの繋がり。多額の借金。不法侵入。窃盗。逮捕、収監。
クリント・イーストウッド作品に共通して流れる、善悪の二分法を拒絶する雰囲気が彼らの音楽そのものにもあるのだ。

許されざる者、グラン・トリノ、ミスティック・リヴァー、トゥルー・クライム。
善悪という相対の中に揺れる自我と、それを錨のように繋ぎ止める「家」という存在が、イーストウッドの映画にはいつも描かれている。
その意味で、このジャージー・ボーイズという作品を、これほど「正しく」映画化できる監督も、クリント・イーストウッドしかいなかっただろうと思うのだ。


2015年4月8日水曜日

もうひとつのゴースト・オブ・トム・ジョード~「インターステラ-」クリストファー・ノーラン

クリストファー・ノーラン監督の最新作「インターステラ-」が早くもDVDになったので早速レンタルしてきた。
逸る心でプレーヤーにディスクをセットすると冒頭の砂まみれのシーンから、「怒りの葡萄」の印象的な導入部が想起された。

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怒りの葡萄は、文豪スタインベックの代表作。
1931年から1939年に実際に起きた「ダストボウル」と呼ぼれるグレートプレーンズを断続的に襲った砂嵐を題材に採っている。
ダストボウルは、作物以外の草木を根こそぎ刈り取ってしまう効率重視の大規模農法が、剥き出しになった肥沃な土壌を乾燥した砂に変え、それが風に乗って砂嵐になる現象だ。
オクラホマ州の多くの農民は、その苛烈な砂嵐に作物をやられ、土地を捨てざるを得ず、果樹園での働き手を探していたカリフォルニア西部に移民していった。
怒りの葡萄は、エジプト王の圧政に耐えかねて約束の地カナンへ旅立つ旧約聖書の「出エジプト記」にその構造を借りている。
クリストファー・ノーランも、インターステラ-を「出“地球”記」として描いたのかもしれない。


約束の地カナンを探す宇宙への旅。
この旅の途中で人類は次元認識の異なる異種族とのファーストコンタクトを果たすが、これはまるでカール・セーガンの原作をジョディ・フォスター主演で映画化した「コンタクト」のようだ。

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そういえば、「コンタクト」にもマシュー・マコノヒー出てますね。


ワームホールや、異次元の認識に「時間」を使うなど道具立てがよく似ているからそう感じるのだが、映像の表現力はやはりクリストファー・ノーランに軍配が上がる。
 「インセプション」の夢の世界も素晴らしかったが、今度の宇宙も凄いよ。
特に「時間」という我々の目に見えないモノを可視化した映像技法には本当に感心した。
もし時間を視る目があるとしたらきっとあんな感じなんだろうと思わせる。


「出エジプト記」や「怒りの葡萄」のような、権力に虐げられる民衆とその中から立ち上がる導き手の物語は、西欧圏のコミュニティに深く根付いている。
ブルース・スプリングスティーンは、1995年のアルバム「ゴースト・オブ・トム・ジョード」で、アメリカは未だ怒りの葡萄の問題を解決してはいない、と語りかけている。
怒りの葡萄の問題意識は、今やグローバルに拡大された。
経済圏を拡大すれば国家の問題も世界の問題となる。

インターステラ-で描かれる未来世界も、疫病で主要な農作物が次々と地球規模で全滅し、食糧戦争で疲弊しきっている。
もはや最後に残されたトウモロコシの絶滅を目の前にして、人類の命運も風前の灯火となった。
しかし、教師までが「アポロ計画」はソ連を破産させるためのプロパガンダ。宇宙計画は二十世紀という贅沢と浪費の徒花で、だから科学教育などは無駄だと言い、未来を切り拓く力をもった子どもたちは生まれようがない社会になってしまっていた。

今を生きる我々に、それをまるっきりの絵空事と笑うことは出来まい。
爆発的に増え続ける人口は現実の問題だ。
それを養うために、遺伝子を操作して人間に都合よく作り替えられた動物や植物たち。
温暖化をいいながら、二酸化炭素の排出量をカネで取引する国際社会。
役に立つか立たないかを基準に、子供の教育を考える人たち。
何が起きてもおかしくない。
その時、導き手は現れるのだろうか。

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2015年4月6日月曜日

少女ヒーローの系譜を継ぐもの~実写映画版「Another」

福田沙紀主演のテレビドラマ「メイド刑事」は、スケバン刑事の流れを正統的に引き継いで、00年代を代表する少女ヒーローものの傑作と思うが、それもそのはず。原作者の早見慎司氏は筋金入りの少女ヒーローヲタクなのである。


そんな筆者が新刊「少女ヒーロー読本」で本領を発揮している。
角川映画が作った若年向け邦画マーケットの中から生まれた傑作「セーラー服と機関銃」を嚆矢に、不良少女とよばれて、ポニーテールはふり向かない、スケバン刑事と続いていく「少女が戦う」ことの商品価値を語り抜く。

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現在入手できないマニアックな番組も含め、詳細に語りおろしていくが、なぜかこの「少女が戦う」ドラマにはバカバカしい演出が頻発し、そのバカバカしさを大真面目にひとつひとつバカバカしいと断罪していく筆致が実に痛快な傑作評論だ。

その最終章をまるまる使って「つみきみほ」という女優について語られている。
懐かしい名前だが、実は近年も実写映画版の「Another」に出演していると聞き、原作も読み、アニメ版も清原紘版のコミックも、オリジナルアニメ付きの予約限定版コミックも入手したというのに、実写版だけは観ていなかったことを思い出して、借りてきた。

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実際に観るまでは見崎鳴を演じる橋本愛がミスキャストではないか、と懸念していたが実にVery Goodで、ミステリアスな造形から、後半素顔を見せていくところがあるのだが、この性格描写は実写版が一番よく描けているかもしれない。

問題は「赤沢さん」だ。
Anotherという物語は、見崎鳴と赤沢泉美の対立軸が背骨になっている。
重要な役なのである。
漫画版でもアニメ版でも入念なキャラクターデザインが施されている。



なのに実写版ではクライマックスの合宿シーンまで、ほとんど赤沢さんの出番はないのだ。



これはマズイ。
女優さんに責任はない。物語の冒頭から「現象」の対策に責任を持つ立場としての赤沢泉美を描いていないから対立構造が生まれないのだ。食堂でのイザコザなんかでそれを表現しようとしているからいかにも軽い。


この対立がないと、「死」と距離を置きたい見崎鳴が、その気持ちを押し切ってどうしてもこの「現象」の解決を自分の手で、という決意が生まれてこない。
案の定「もう誰も死んでほしくないの」などという実に彼女らしくない台詞で動機を説明することになってしまっている。
緻密な骨格を持つ作品だけに細かい改変が随所に影響を及ぼす。
残念だ。

原作既読者は、「死者」に関するある叙述的なトリックが映像作品でどう処理されているか気になっている方もいらっしゃるだろう。
漫画版もアニメ版もうまく処理していたが、人間が演じる実写ではどちらの手も使えない。そこで脚本をうまく変更して対応していた。
まるで違和感はなく、現実的。
この処理は原作よりも優れていると思う。


で、肝心の「つみきみほ」だが、本当にワンシーンのみの登場で、きっとあらかじめ意識していなければ「つみきみほ」だとは気づかなかっただろう。
若い時の顔が思い出せなかった。
「時をかける少女」でも、細田守アニメ版にも、仲里依紗版にも、成長した芳山和子が出てくるように、かつて花のあすか組などで、少女ヒーローの時代の終焉を看取ったつみきみほが、どちらかというと過保護な親類を演じるというところに意味があったのだろう。
しかし脚本も演技もそのコンセプトを表現できていたとは言いがたい。
Anotherという作品を二次的に表現し尽くしたのはアニメ作品の方だった。
よりカネの集まるアニメの世界の方に人材が育ってきた、ということなのかも知れない。


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2015年4月2日木曜日

Watch Out!今度の物語は「速い」よ。〜「プランタンの優雅な退屈」大森葉音

大森滋樹名義でミステリ評論を手がける筆者、大森葉音(はのん)の第二長編「プランタンの優雅な退屈」が出版された。
第一長編「果てしなく流れる砂の歌」のレヴューで僕は「作家は処女作に収斂する」と書いたが、早くも撤回しなくてはならないようだ。

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そもそもキャリアの長い評論家である筆者にとっては、実作が初めてであっても、一般的にいう「処女作」とはずいぶん事情が違う。記念すべき処女作ですら数多あるエンタテインメント的引き出しのごく一部を開陳したに過ぎなかったようだ。
そういえば、ミステリ評論家なのに処女作がハイ・ファンタジーだったのだから、そうと気付くべきだった。
二作目の本作では、そのファンタジー世界をそのまま舞台として、今度は脱力系ミステリをぶち込んできた!

ついに本丸のミステリに殴りこみ、なはずなのに、もうビックリするほどいい感じに肩の力が抜けているではないか。
あの奥泉光ですら、脱力ミステリ桑潟幸一シリーズを書くためには、「モーダルな事象」という極めて本格的なミステリの狂言回しとして登場させるというステップを必要としたというのに。

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しかしこの種の作品は扱いが難しい。
作中人物が脱力している分、物語は強い骨格を必要とし、作者に相当な筆力を要求するからだ。

筆者は今回、この物語を成立させるために、極めて斬新な「読者への挑戦状」を用意した。
「基本問題」編を用意して、本編の推理の道筋を予め開示してあるのだ。
しかし、現実の社会でもクリティカルな政治的テーマである「エネルギー問題」が絡んできたり、そのエネルギー問題に、先端科学の中でも概念把握の難しい「空間と空間の間」という問題を絡めたりして、容易にその全貌を掴ませない。
シリアスな話題は、読者に一定の読み応えを提供しながら、ファンタジー設定にくるまれて脱力系のムードを損なわない。

そして王道の密室トリックで、読者への挑戦状を回収した後、著者の真骨頂がスタートする。
物語の加速である。
大森滋樹名義で、創元推理評論賞を受賞した論考「物語のジェット・マシーン」で、物語がどのように加速され読者を巻き込んでいくのかという心理的背景を分析している。
また、母校北海道大学の出版局から出た「日本探偵小説を読む」という評論集で、サスペンスの構造について読み解いている。

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いわば筆者は物語の加速装置を知り抜いた男なのである。
そして満を持して、その加速装置を自らの作品に持ち込んだ。

Watch out!
速いよ。
加速されるのは物語じゃなくて、こっちの気分なんだと気づいた時には、二行おきくらいに飛ばしながら読んでいる自分を発見して急ブレーキをかけることになる。

必ずしも理論的背景がわからないと楽しめないということはない。
どのようにボールを握っているか知らなくても桑田真澄のチェンジアップが凄かったのはわかる。
むしろそんな裏側を見せないのがプロのエンターテイナーだともいえる。
評論家でありながら実作を書くということは、絶えず種明かしをしながらもマジックでお客さんを驚かせるようなものだろう。
しかし文学にはそういう楽しみ方も許されている、と僕は思う。

シェリーのフランケンシュタインには「批評理論入門~フランケンシュタイン解剖講義」という優れたガイドブックがあり、併読すれば芳醇な作品世界をより楽しめるし、奥泉光がいとうせいこうと書いた「小説の聖典」も、読めば一見難解な奥泉作品の世界に通奏低音として響く「鍵」のようなものを感じ取れるようになる。

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Pixerの傑作「レミーのおいしいレストラン」では、料理評論家イーゴの独白を以って評論のある種の虚しさが語られるが、だからこそ真の評論とは、実作者を凌ぐ覚悟をもつ者でなくてはできないと僕は思うのだ。
そして評論と実作は必ずしも相克するばかりではない。文学の世界で実現した、評論と実作の幸せな共演を是非ご体感いただきたいと思う。