2013年7月16日火曜日

「探偵はBARにいる」はニッポンのハードボイルドである

大学生の頃、友だちの多くはアルバイトをしていた。
塾講師や、家庭教師。
レンタルレコードショップや、大学の近くの喫茶店。

僕はといえば、昼ごろ起きて、バンドの練習か代返の効かない授業にだけ出て、あとはサークルの溜まり場で時間を潰す怠惰な生活から逃れられず、決まった時間に働くアルバイトをやっていなかった。

夏休みに故郷の釧路にある、あすなろ塾という中学生向けの学習塾で国語の講師をやって、赤いアイバニーズのエレキギターを買った。
そして時々、レコードを買うために学生課の貼り紙を見て引越しのバイトをやった。
キツいけど、カネになった。
やはり働くのはあまり好きじゃなかった。


ある時、サークルの先輩が、今度新しく喫茶店が出来るからそこで一緒にバイトをしようと誘ってくれた。
働くのは好きじゃないが、その先輩のことは尊敬していた。
その人が長く働いていたCubicというカフェバーの支店のようなものだということだったので、先輩の人間性に少し近づけるかもしれないと思い、働いてみることにした。

ススキノの南興ビル地下に出来たON THE ONという店だった。
母音だが、何故かオン・ザ・オンと発音させるその店の勤務時間は、夜の11:00から明け方の4:00までだった。
ススキノのホステスさんが、お店がハネた後、お客さんと、または同僚と立ち寄って珈琲を飲む店だ。


深夜の歓楽街の裏舞台みたいな店だった。
「お店」というステージを降りた夜のアクトレスが足を休める場所。
そこには、緊張や嫌悪感から解き放たれたやすらぎのようなものがあった。
いつもは接客をする側の人たちが、同じ接客業の僕たちにかける仄かな気遣いのようなものが心地よい空間だった。
それは、ススキノという大き過ぎない歓楽街の持っている独特のアット・ホームさの源泉だったのかもしれない。


札幌の作家、東直己さんの原作による映画「探偵はBARにいる」には、そんなススキノの空気が実によく再現されている。
ススキノのお店で話し込んでみれば、みんな他のお店のことを本当によく知っていることがわかると思う。そんな雰囲気が、この映画にはある。



事件の解決について、問題があるというレビューがこの映画には多くついているが、馬鹿なことを言ってはいけない。
この映画は「ハードボイルド」なのだよ。

僕はハードボイルドが好きだ。
彼らが理不尽と戦う存在だからだ。

世界は事実、理不尽に満ちていて、現実にはいちいちそれらと戦っているわけにはいかない。生きていくのは結構面倒な事が多いからだ。
戦わずに済むなら多少の我慢はしても戦わずに済ませたい。でしょ?
だから、物語の中で我々の代わりに戦ってくれる彼らにせめて拍手を送りたいのだ。
みんなもそうだと思う。

ハードボイルドはこの「身びいき」を楽しむ文学なのである。
我々の代わりに思う存分傷めつけられた探偵が、神サマがくれた偶然という名の思いっきりの身びいきを得て、悪党を懲らしめて溜飲を下げる。
そういう物語なのだ。


また、アメリカのハードボイルドと較べて、云々という言説も聞かれるが、無理を言ってはいけない。

アメリカという、植民地政策と奴隷貿易が生み出した国家に否応なく内在してしまう「歪」をどうしようもなく引き受けて、タフな役回りを演じさせられている探偵と、逃げ場のないムラ社会の中で、うまく立ちまわる人たちとうまく生きていけない人たちの間に生じた闇が、時に凶暴な暴力に変わってしまうのを体を張って引き受ける日本のハードボイルドは、本来較べるべきでないほどの大きな差異があるのだ。

我々はそのニッポンの風土的ハードボイルドを楽しめばよいと思う。
少なくともその点においては、この映画はとてもよく撮れていると思うから。

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