2015年11月29日日曜日

岡本喜八「ブルークリスマス」と庵野秀明「エヴァンゲリオン」、あるいは竹下景子の異次元の清純さについて

旧い友人たちと、思い出のある居酒屋で旧交を温めていた。
懐かしい話に花が咲く中、そういえば昔はみんなタバコ吸ってたよなあ、という話になった。喫煙者と非喫煙者の割合は完全に逆転していた。

映画が好きなその先輩は、昔の映画に喫煙シーンが多いことを説明しようとひとつの映画のタイトルを挙げた。
それが「ブルークリスマス」
喫煙シーンのことを例示したくて挙げたのに、内容の説明が面白すぎて本題を忘れてずっとその映画の見所を語っていた。
ストーリーももちろん面白そうだったが、主演女優が竹下景子さんであることが僕の心に刺さった。
エラリー・クイーン「災厄の街」の映画化「配達されない三通の手紙」に出演していた若き日の竹下景子さんの可愛らしさに心奪われていたからだ。
「配達されない三通の手紙」の竹下景子

僕がそう言うと、「絶対ブルークリスマスの竹下景子のほうが可愛い」と断言された。
これは観るしかないでしょう。

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ところがことはそう簡単ではなかった。近所のレンタル店には在庫がなく、頼りのディスカスでは豊富な在庫があるのになかなか単品リストに入らない。古い映画なのに人気があるのだと知って、先輩が名作と強調していたのがよくわかった。

で、やっと来ました。
再生を始めると、タイトル画面にサブタイトルが記されていた。
BLOOD TYPE:BLUE
ピンときた人も多いだろう。

エヴァンゲリオンで、使徒が現れた時「パターン青。使徒です!」と言う時、ディスプレイに表示されている文言である。
庵野秀明は、ブルークリスマスを撮った岡本喜八監督からの影響を常々公言している。
戦争を経験した表現者(戦中派)は、しばしば戦時中同じ人間であるはずの敵国の人々を鬼畜と呼んでまるで別の生き物であるかのように考えていたのが、戦後突然錯覚であったことに気付く不思議をテーマにしている。
「敵」と「味方」をわかつ根拠が、人間自身の心の弱さにあるというテーマは、エヴァンゲリオンとこのブルークリスマスに共通する主題であるといえるだろう。

ブルークリスマスは、UFOから照射された光線でヘモグロビンの中の鉄が銅に変化してしまい、ヘモシアニンになった血が青くなることで迫害を受ける人々の物語である。

ヒトとシト、赤い血と青い血は、それぞれの物語で最後に溶け合う。

その意味するところは、たぶんここで言葉にすべきでないものだろう。観るものの心に生まれる感慨そのものを大切に抱いていくしかない。
これはきっとそういう映画だ。

そんなことより竹下景子だ。

可愛いですね。これこそが清純派でしょう。清純さのレヴェルが現代とは異次元にある。
そしてこの可愛らしさを演出するのに岡本喜八監督が使ったこのシーン。





背の低い竹下景子が、勤めている理髪店のシャッターを閉めようとジャンプ一閃。
見事に閉めてクルッと振り返るとか。天才や、岡本喜八。
監督も素晴らしい演出と思ったかラスト近くでもう一回飛びます。
いいなあ。
死してなお美しい。
クイズダービーの三択の女王の姿しか知らなかった竹下景子さんの映画作品。
まだまだ開拓していきたいです。

映画内では、ビートルズをモデルにしたと思われるザ・ヒューマノイドというバンドが歌う「ブルークリスマス」という曲が頻繁に流れるが、この歌を実際に歌っているのがなんとCHARさんです。
やっぱりタバコくわえてますw


映画で使われているのがこちら。

日本語バージョンもありました。
発売されたシングルはこちらがA面で、英語版がB面に収録されていたそうです。
なぜか、日本語バージョンのほうがテンポが速い。なぜなんだろう。




2015年10月9日金曜日

合理の目は真実に近づかない~島田荘司「新しい十五匹のネズミのフライ」

島田荘司の新刊「新しい十五匹のネズミのフライ」は、シャーロック・ホームズ・パスティーシュの第二弾であった。

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第一弾は「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」で、ホームズの作品世界になんとロンドン留学中の夏目漱石を語り手として投入するという異色作であった。

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この作品で印象的なのはホームズの女装についての見解だ。
聖典(ドイル作のホームズ作品群をこう呼びます)中では「マザリンの宝石」で老婆に女装して尾行した男に、正体を明かして驚かれるシーンがある。
しかし考えてみれば、長身で拳闘でも目覚ましい動きを見せるホームズの相貌で女装をすればこれは相当に目立つはずだ。
ワトソンではなく、夏目漱石を語り手とすることで、合理というフィルタを挟み込んだ結果、 ホームズの人物評も女装癖のあるコカイン中毒者、ということになる。


このように合理の目に晒してみれば、ホームズ譚には微妙なところがたくさんあるようで、「新しい十五匹のネズミのフライ」では、このあたりをワトソンによる作家的創作として処理している。
有名な「まだらの紐」では(未読の方は読み飛ばしてくださいね)、笛を合図に蛇をあやつって殺人が行われるが、蛇には耳がないのである。
本作では、「まだらの紐」は、コカイン中毒の治療中に見たホームズの悪夢を締め切りに追われた作家ワトソンの苦し紛れの創作として扱っている。
もはやSFファンタジーの域に達している科学的ナンセンス編「這う男」(本作中では「這う人」)も同様にワトソンによる純粋な創作としている。

これは、作中の語り手を作家にして、その架空の人物が書いた小説を今読者が読んでいるというホームズ譚の複層的なフィクションの構造を最大限に利用したパスティーシュと言えるだろう。
タイトルをわざわざ「ジョン・H・ワトソンの事件簿」にしているのも、複層構造に取り込まれ登場人物としての主体を喪失しているワトソン自身を描いていることを暗示しているのだ。

ホームズの作品世界を読み込んで、愛し抜いた筆者の最大の愛情表現なのだろうし、それは取りも直さず自身の御手洗シリーズの語り手石岡和巳に対する愛着なのだろう。
御手洗シリーズを熱心に支持する我々ファンの気持ちもまったく同じだと思う。

2015年9月29日火曜日

尖閣諸島は誰のものか、そして沖縄基地問題の根源はどこにあるのか~小説 琉球処分

だんだん世界が抜き差しならない状況に向かっているように感じる。
対症療法的な政治は、交渉相手の選択肢を奪い、結局どうしようもなくなって拳を振り上げさせるのではないか、という疑いが頭を離れない。

隣国の「挑発」に苛立って講じた「嫌がらせ」を「抑止力」と呼ぶ理屈は、はたして正鵠を射ているだろうか、などと考え始めればかえって、言葉を弄ぶことの虚しさばかりが募る。

未来、自分の子どもにどうしてこうなったの、と訊かれた時、何が答えられるだろうと考えたら、いてもたってもいられなくて、ここ数日目についた本を読み漁っていた。

その中に出てきた「琉球処分」という言葉がどうも気になって調べているうち、この本を見つけた。

小説 琉球処分(上) (講談社文庫)
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小説 琉球処分(下) (講談社文庫)
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芥川賞作家の大城立裕が、若い時に新聞に連載して途中で打ち切りになっていた作品だそうだ。
芥川賞を受賞した際、後半を書き足して出版された。

さほど売れず絶版となっていたが、菅直人首相が就任後の会見で、この本を読んで沖縄の歴史を理解しようとしている、と述べたことで中古市場が沸騰し、講談社が文庫化した、ということらしい。 読んでみると、そんな経緯は嘘じゃないのかと思えるほど面白い。



琉球処分を通じて、明治維新の実際を感じたような気がした。
そして教科書や新書などで知る明治維新と、それはずいぶん違う顔をしている。
やはり歴史は「人」が作っているのであって、どのような心持ち同士がぶつかり合ってそうなったのかを知ることは容易ではない、ということなのだろう。
政治的な立場の違いで起こる論争の中でよく聞かれる「もっと歴史を勉強しろよ」という言葉のなんと虚しいことか。
それが知り得ないものであるという謙虚さから先に進み、やがてお互いの意見を呑み込むことしかきっとできない。
読み終えた今は、そう思う。


この本を読むまで、沖縄の基地問題とは太平洋戦争の結果として生まれたものだと思い込んでいた。
書かれてあるとおり、明治政府の外交政策の犠牲となったことにそのルーツが求められるとすると、この問題の根源が足元にあったわけで実に根深い。
尖閣諸島も琉球王国に属するものだ。
明治以前、島津藩には相次ぐ増税に苦しめられ、柵封を続けていた明には貢物に倍する手土産を持たされて厚遇されてきた琉球の人たちが、それでも自分たちのルーツは日本にあるとの自覚を捨てずに生きてきた苦しみが、この問題を複雑にしている。
なにか慄然とする思いだ。



そして同じ過ちは今も繰り返されている。
松田処分官が遺した公文書としての「琉球処分」を作家大城が読み解いたことで、この本が書かれたあとの出来事の本質までも見通している。
これが小説というものの重要な役割だと思う。
せめて現代に生きる我々は、「文系大学処分」だけは阻止せねばなるまい。

2015年9月14日月曜日

ヒーローと立憲主義の「魂」~キャプテン・フューチャー第九巻「輝く星々のかなたへ!」

キャプテン・フューチャー・シリーズ第九巻に突入致しました。

「輝く星々のかなたへ!」では、水星で大気や水を人工的に生成してきた鉱物資源が枯渇して、住民がガニメデへの移住を迫られるという事態が発生する。

カーティスは、水星人が生まれ故郷を離れなくてすむように、遥か彼方、宇宙の中心にまで赴き、万物生成のメカニズムを解き明かしに行くというかつてない遠大な冒険の旅に出る。

太陽系内の悪者をほとんどやっつけてしまったフューチャーメンにもう敵はいない。
勧善懲悪型のストーリーが成立しなくなったため、科学冒険小説にトライ!というところでしょうか。

宇宙にあるあらゆる物質が生まれる宇宙の中心では、やはりそのメカニズムそのものを「特権」として相争う勢力が存在した。
難しいのはどちらに味方するかということで、まるっきり地縁のないカーティスにとっては、結果的にはどちらに加勢しても勝てばいいわけなのだが、物語の性質上、そういうわけにもいかない。

一方は科学技術至上主義で、使えるものはなんでも使って富を生み出そうという考え方。
もう一方は、手に余る技術は人を不幸にする、という考え方。
で、まあ、利己的でない後者の方をカーティスは選ぶわけですが、やっぱり後者の陣営に美人のお姫様がいるんですね。
たまたま思想の合う側に美女がいたのか、美女がいたから味方したのか。
けっこう怪しい展開なんですが、 まあ、こういうのは詮索しないほうがいいですね。

で、勝利したカーティスは、この人ならば私利のためでなく、社会のために正しく使ってくれるだろうという信任を得て、そのメカニズムを借り受けるわけです。
カーティスが超人&イケメンだからこそ得られた信任なんですね。

現実の世界にはこのような超人は実在せず、しかし誰かにリーダーシップをあずけなければならない。
普通に考えれば、こんな人任せのシステムは続かない。
だから「法」というものがある。
長い時間が組み上げた「立憲主義」という仕組みがある。
行き過ぎれば、自由を奪い、緩めれば権力に目がくらんだ人の暴走がはじまる。
みっともない事この上ない仕組みだけど、まだこれ以上のシステムは生まれていない。

こんな時代だからこそ、荒唐無稽な正義のヒーローの活躍を、立憲主義の「魂」として読んでおくっていうのもいいと思うんですよ。
いや、けっこうマジでそう思ってます。


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2015年8月18日火曜日

フューチャーメンのタイムトラベル~キャプテン・フューチャー第八巻「時のロストワールド」

いよいよ第八巻「時のロストワールド」である。
なにがいよいよかと言うと、タイムトラベルものがついにキャプテン・フューチャー・シリーズに登場なのである。

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前巻で、最大の敵ウル・クォルンを斃してしまい、太陽系に完全な平和をもたらしてしまったキャプテン・フューチャー。こともあろうにその平和に退屈している。
そこに、遙か一億年の過去から救助を求める声が!
そして喜色満面にフューチャーメンは過去への冒険に旅立つというわけです。

世にタイムトラベルSFはその黎明期から数多く発表されています。

最も代表的なものはもちろん、ウェルズの「タイムマシン」でしょう。
主人公の科学者「タイムトラヴェラー」は、
一次元は点、二次元は線、三次元は空間。
しかし物体が存在し続けている限り、精確な事物の特定には「時間」を変数として考えることが必要になる。つまり時間は4つ目の次元であり、だから我々はその中を移動することができると、強弁した上に、普通では移動できない次元の中を移動可能にする技術的背景に関しては特に説明しないまま、実際に移動するためのマシンを作ってしまいました。

その他のSF作品も大同小異ですが、さすがハミルトンはひと味違います。
時間の流れは原子の中の電子の軌道速度が作っているから、これを速めれば未来に行けるし、逆回転すれば過去に行けるという科学的背景を「創造」してしまいました。
無茶苦茶ですが、SF作品としては不思議な説得力があります。堅固な虚構の科学です。

ある時期までのタイムトラベルSFは、わりと自由にオリジナリティのある時間旅行の方法を考えてきたのですが、アインシュタインが光速で飛ぶと時間が遅くなるなんてことを言い出したもので、多くのSFが相対性理論をベースによりリアリティのあるSF作品を作るようになっていきますが、そんなある日、本当に自分はタイムトラヴェラーである、と宣言する男まで現れました。
ご存知ジョン・タイター(詳しくはリンク先のwikiを)です。

このジョン・タイター騒動を素材として取り込んだのがゲーム作品シュタインズ・ゲートで、アニメ化もされたこの作品が最も手っ取り早く、今人類が実際に取り組んでいる、実現可能性のゼロでないタイムトラベルの全体像にアクセスできる経路だと思います。

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またタイムトラベルはラブロマンスと相性がいいというのが定説ですが、本作ではオットーまでが一億年前の地球娘と恋に落ちちゃうんですから、間違いないです。
カーティスについても、物語進行の都合上ジョオン・ランドールは今回お休みですが、その代わり依頼主のお嬢さんといい感じになってました。
一億年前の太陽系に恋に落ちる対象の人類がいる、というところにもずいぶん前の巻から科学的伏線を施してあってここがまた物語の盛り上がりどころになってます。


本当に盛り上がりどころ満載の本作のテーマは、滅亡に瀕した科学の星「カタイン」が、生き残るために火星を滅ぼして移住するか、コールドスリープで遠い別の惑星を目指すかという政治闘争になってます。
近年では「翠星のガルガンティア」で虚淵玄が採用した基本構造ですね。いつか人類もこのようなことを考える日が来るのでしょうか。


2015年8月15日土曜日

歴史ミステリの新しい傑作~ポール・アダム「ヴァイオリン職人の探求と推理」

1999年のクリスマスはクレモナで過ごした。


この「ヴァイオリン職人の探求と推理」には、その時の記憶を呼び覚ます精緻な描写が溢れている。
見事な筆力だ。

バイオリンの裏面史も実にイキイキと書かれていて引き込まれる。
ただ殺人事件についてのプロットには不十分なところがあると思う。事件自体の複雑さや意外さに不足はないが、探偵の作法には習 熟していないようだ。

素人探偵だから、ということを言っているのではない。
犯人を思いつきで追い詰めることは、どうせ物語なんだからなんだって作者の思い通りになるもんねと、作品から読者を閉めだしてしまうことになる。
読者との共同作業でなくてはならない。
そのための伏線なのだ。

それでもこの本の読後感の幸せは一級品のそれだ。
舞台が大好きなクレモナだったから、ということだけではないと思う。


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2015年6月28日日曜日

映画「ハンナ・アーレント」〜我々の日常に棲む悪の凡庸

映画「ハンナ・アーレント」をやっと観た。

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観終わって胸を刺すのは、現代社会に生きる我々は、程度の差はあっても皆が凡庸なアイヒマンなのではないかという疑問だ。

会社に所属して仕事をしたことのある人間ならば誰でも、「それが仕事だから」というだけで、特に良心に問いかけたりせずに上司からの命令に従って日々を送った経験があるはずだ。

殺人犯が書かれた本は、それを禁じる法律が無いという理由で出版され、ベストセラーになるし、 キッチンでは、表示された消費期限が来ていなければ、食べられるものと判断するだろう。

科学は進歩し、社会は高度化したが、かえって我々の思考は停止している時間の方が長くなったのではないか。
世の中にはとうてい見きれない程のチャンネル数を備えたテレビシステムがあり、インターネットには日々膨大なコンテンツが流通している。
ネットに集積した口コミを眺めていれは、明日何を食べようか考える必要はない。自分に相応しくない店に足を踏み入れてお店に冷たくあしらわれたら、ネガティブな書き込みをして復讐だってできる。
何か答えが知りたければGoogle先生が、Wikipedia先生が、そして池上彰先生までもが、ハイデガー先生のかわりに教えてくれる。考える必要はない。信じればいい。

ハンナ・アーレントが、アイヒマン裁判を通して警告した現代の新しい悪である「凡庸さ」は、それが人間の深い部分に根ざした心性の悪でないゆえに、簡単に蝕み、簡単に拡散していく。
このことは広く理解されないまま、事実現代の病理として今我々の日常の中に静かに存在しているのではないか。
だとしたら今度人類が起こす悲劇は、アイヒマンを絞首刑にして終わるようなものではないのかもしれない。

映画のラスト8分のスピーチにあった「考える事で人間は強くなる」という言葉を信じたい。John LennonがImagineで歌ったのもきっとこのことだったんだと今は思う。

2015年5月19日火曜日

科学と野心の狭間で~キャプテン・フューチャー第七巻「透明惑星危機一髪!」

キャプテン・フューチャー第七巻は「透明惑星危機一髪!」
宿敵ウル・クォルンが、ヌララとともに刑務所を脱獄してきます。
今までカーティスが捕まえてきたおなじみの悪役さんたちも一緒に引き連れての脱獄劇は、今なら劇場版の企画にぴったりな総集編的シナリオになっています。

ハミルトンのスペースオペラにはよく荒唐無稽という形容詞がつきますが、カーティスの活躍の裏で、科学の魅力に取り憑かれ、どうしようもなく悲劇的な運命をたどってしまう科学者の物語も描かれているのです。

異次元の世界にあるという秘宝を求めて、次元の壁を超える宇宙船を開発し、そこで出会った悲運の星の人たちに心を寄せ、そこで暮らす老科学者。
そして、科学の力で太陽系の支配者たらんとするウル・クォルン。
どちらも科学に魅せられ、野心に駆られ、そして悲劇的な末路に誘い込まれていきます。

それまでできなかったことを可能にする科学の力は、隣人を幸せにもするが、力の非対称の魅力にはやはり抗いがたいものがある。
僕らはどのような知見を以って科学と共存していくべきなのか。
おそらく答えの出ないこの問いを、ハミルトンは大衆SFを書くことで発信しつづけていたのでしょう。

ラストで自ら死を選んだウル・クォルンですが、マンリー・ウェイド・ウェルマンが書いた最終巻「小惑星要塞を粉砕せよ!」と翻訳者野田昌宏さんの書かれた「風前の灯!冥王星ドーム都市」でも登場します。
やはりクォルンとヌララのカップルはシリーズ随一の人気悪役キャラなのですね。

ところで本作でもジョオン・ランドールのツンデレ指数はまた少し上がってきています。
野田総帥の名訳は文化遺産として残すべきとしても、近年のライトノベル作家による正調ツンデレによるジョオンも見てみたいものです。新訳か、新解釈のアニメ化などの企画はないものでしょうか。
いいと思うんだけどなあ。

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2015年4月24日金曜日

条文万能主義という思考停止、あるいはヒーローを希求するということ〜キャプテン・フューチャー第六巻「謎の宇宙船強奪団」

NHKのデレビアニメ版ではスペシャル扱いだった本編は、実に映像的な作品だ。
手に汗握る展開の宇宙レースやストップモーションの世界を泳ぐように繰り広げられる逮捕劇など、頭のなかにはっきりした映像が浮かぶ。
またアニメ版ですっかり有名になった「おいらは淋しいスペースマン」という名挿入歌もこの物語でグラッグが歌うものだ。


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さて、前作「太陽系七つの秘宝」で、非常に魅力的な敵性女性キャラクターであるヌララが登場したことを受けてか、本作ではジョオン・ランドールの積極性が格段に前面化しており、すぐ敵に拉致され救出される守られるヒロインとしての立場から、熱心な追っかけにジョブチェンジしている。相変わらず事件解決への貢献度は低いものの存在感は増している。

物語は、水星の新造宇宙船のテスト場から飛行テスト中の宇宙船が忽然と姿を消す事件が多発するところから始まる。
今までの作品が「宇宙の危機」を扱っていることを考えると、私企業の倒産の危機を救う本編のスケールは小さい。しかし現代の我が国の改悪され続けていく税制や労働関連法規が大企業の経営者の意思の反映であることを考えれば実にリアルだ。

リアルといえば、宇宙船建造会社の経営者が作ったカジノ小惑星にはいろいろ考えさせられる。太陽の周りを回るすべての天体に適用されると規定された太陽系憲章を出し抜くために、強力なジェット噴射で公転を止めた小惑星を作ればいいというロジックはバカバカしくも見えるが、実際法の抜け穴を突くというのは万事こういうバカバカしさを内在しているものだ。

条文万能主義はある種の思考停止だが、権力の魅力に腐敗しがちな人の王のかわりに法という名の人造の王を戴いた近代社会の限界がここにある。

これを超法規的に乗り越えていくキャプテン・フューチャーのような存在を物語に求める気持ちの源泉も、人間の社会が硬直化していく中でいや増していく、正直に生きていることで損をしているような気分の中にあるのではないか。


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2015年4月18日土曜日

SFのリアリティを損なうものと、翻訳文体の問題~「レッド・ライジング」

新人作家ながら草稿で映画化までの契約を勝ち取ったというピアース・ブラウンの「レッド・ライジング」はそのエピソードに違わぬ魅力を持った作品だった。

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これほど物語世界に没入できた小説に出会ったのは、おそらく「ミレニアム」以来だと思う。

ラスト100ページくらい、文字通りの「息もつかせぬ」展開で本当にちょっと酸欠気味になった。
最終ページまでまったくスピードが緩まないので、読了後に大きく深呼吸したくらい。

戦闘のスペクタクルと心の葛藤を同じスピードで書けるこの作家が新人だとはにわかには信じられない。
しかし完璧というわけでもない。
「歴史上の人物の発言を引用すると必ずリアリティが損なわれる」ので、そこをどう処理するかというSF特有の流儀に無頓着なところがあったりもする。
SFはこの現実世界の延長を描いたものであっても、かならずそれ以降の大きな社会変化を前提として持っている文学形態である。
言語は社会に強い影響を受け、大きく変化するものだ。
その変化に晒された者たちが、僕らの知っている昔話を同じ意味合いで使うという事態には強い違和感を感じる。
その感覚を持つSF作家は実にたくみに神話や故事を引用するのである。
たとえばダン・シモンズのように。

そういえば、士官養成学校で寮同士の争いが描かれるので、エンダーのゲームとかハリー・ポッターの類似性が指摘されているが、このレッド・ライジングという小説のストーリーテリングのイメージは圧倒的にダン・シモンズの「イリアム」「オリュンポス」に近い。

骨太なのである。
それだけに、翻訳がなぜか現在形主体の特殊な文体を採用しているのが気になる。
村上春樹がアフターダークと多崎つくるで使ったあれだ。

この文体が生む「帰属感の希薄さ」や「浮遊感」は本当にこの物語に必要だったか。
語尾のバリエーションが極端に制限されるデメリットばかりが目についた。

2015年4月11日土曜日

この作品が「ルパン三世」というズバリのタイトルでいいのだろうか

実写版「ルパン三世」を観ました。
しかしこのタイトルは何なんだろう。
映像作品だけでもオリジナル3シリーズにたくさんの劇場版、TVスペシャル、優れたスピンオフが複数あるのに、ズバリ「ルパン三世」とは。
これが決定版であるとでも言うつもりか。

小栗旬のルパン三世については、特に申し上げることはない。
メインキャストの中では玉山鉄二の次元大介が一番カッコよかったかな。
綾野剛は、いつも通りで、まあ何を演じても何かを演じている綾野剛のままだった。

黒木メイサの峰不二子は、予想以上に健闘したと言っていいと思う。
だいたい、森雪と峰不二子というキャラクターは、現実に置き換えないからこそ成立するアイコンとして設計されている。
そういう役に抜擢されているという事実が彼女の女優としての評価なのだろう。

映画全体を通じて古臭いイメージを感じるのは、たとえば兵士が爆弾にふっとばされているシーンでの体の動きがありのまますぎる、というような不作為のせいだ。
マンガやアニメに見られるようなデフォルメされた動きを作りこむことで、ホンモノでないからこそ感じられるリアルが標準になった今、どうしてもこの映画の動きはやっつけ仕事に見えてしまう。
CGで何でも出来てしまう今、リアルの定義は明らかに変わりつつあるのだ。


不幸な条件もあった。
「峰不二子という女」という先行スピンオフがあまりにも良く出来ていたため、峰不二子の過去を改変する、というこの映画の(唯一の)シナリオ上のフックが無効になっている。
またこの「峰不二子という女」という作品、ジャズがホンモノだった。
菊地成孔が作り出した、ルパンのジャズ。

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それにひきかえ、小栗版ルパンのジャズが中途半端なことといったら!
それっぽいシーンに挿入されただけでは、いくらフレーズがジャズっぽくても、それはジャズっぽい音楽であるというだけだ。
全体を通底するテーマが流れていなければ。
その意味では布袋寅泰のテーマ曲も有効に機能していなかった。

この映画をプロデュースした人間からは、ルパン三世という長い歴史を持つ作品に対する敬意のようなものも感じられないが、もっと基本的なところで作品作りというものを甘く考えているのではないか、という気がしてならない。


よかったところもある。
映画でメイサ不二子の乗ってるバイクがハーレーじゃなくてYAMAHAのVMAXだったことと、ルパンのフィアットが古いチンクエチェントじゃなくて、新しいチンクだったこと。


ちょうどいいんだよ、そのくらいが。
カタチだけ真似ても仕方ないんだ。

あと、最後に銭形が追っかけるシーンで古い国産車が使われてるんだけど、その中に初代のチェイサーがあって、それもよかった。


だってベタでしょう。チェイサーで追っかけるなんてさ。
そのくらい自虐的にふざけてくれないと、ちょっとやりきれないよ。この映画。

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2015年4月9日木曜日

フォーシーズンズの光と影~「ジャージー・ボーイズ」クリント・イーストウッド

フォーシーズンズの名前を初めて知ったのは小学校4年生の時だった。

当時学校ではベイ・シティ・ローラーズが流行っていた。
クラスメイトのお姉さんが持っていた3枚のアルバムを録音してもらって、自分のラジカセで何度も聴いて歌っていた。そのうち自分でもあの大きなジャケットに収納された丸いレコード盤が欲しくなって母におねだりした。
とはいえ、当時我が家の音響機器はナショナルのラジカセだけで、レコードプレーヤーはなかったのだ。

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父はあまり音楽に興味がない人だったが、翌日東芝のモジュラーステレオを買ってきてくれた。肝心のレコードは、母と一緒に当時釧路で一番大きな百貨店だった丸三鶴屋のレコード売り場に買いに行った。
そこで買ってもらった「ニュー・ベスト」というベスト盤の最終曲として収録されたバイ・バイ・ベイビーのオリジナルがフォーシーズンズだったのだ。

その後、例の「君の瞳に恋してる」を何度もラジオで聴いて、フランキー・ヴァリの名前も聞き知ってはいたが、その人がフォーシーズンズのリード・ヴォーカルだとはずいぶん後になってから知った。

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そのフォーシーズンズの伝記的ミュージカルをあのクリント・イーストウッドが映画化すると聞いては黙ってはいられない、と言うわりには結局劇場には行かずDVDでの鑑賞となった。

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しかしまあ、クリストファー・ウォーケンが出てくるだけで、画面の中の人間関係に奥行きが出てくるのはどういう仕掛けなんだろう。映画によってさして演技を変えているようには見えない。
彼自身の人柄のなせる技なのでしょう。いつもどんな役をやっても彼自身はクリストファー・ウォーケンにしか見えないのだから。
「ディア・ハンター」以外では、「ヘアスプレー」や「25年目の弦楽四重奏」といずれも音楽系の映画でお逢いすることになったので、何か音楽とのご縁があるのかなと思って調べたらもともとミュージカル俳優だったのですね。

BCRがカバーしたバイ・バイ・ベイビーと君の瞳に恋してるしか知らなかったが、ボブ・ゴーディオという才能あふれる作曲家の音楽をこれまで聞き逃していたことが残念になるくらい、映画は素晴らしかった。
ある意味優等生(ベビーフェイス)的な音楽だが、映画で描かれた彼らの人生は順風満帆とは対極の壮絶さだった。
マフィアとの繋がり。多額の借金。不法侵入。窃盗。逮捕、収監。
クリント・イーストウッド作品に共通して流れる、善悪の二分法を拒絶する雰囲気が彼らの音楽そのものにもあるのだ。

許されざる者、グラン・トリノ、ミスティック・リヴァー、トゥルー・クライム。
善悪という相対の中に揺れる自我と、それを錨のように繋ぎ止める「家」という存在が、イーストウッドの映画にはいつも描かれている。
その意味で、このジャージー・ボーイズという作品を、これほど「正しく」映画化できる監督も、クリント・イーストウッドしかいなかっただろうと思うのだ。


2015年4月8日水曜日

もうひとつのゴースト・オブ・トム・ジョード~「インターステラ-」クリストファー・ノーラン

クリストファー・ノーラン監督の最新作「インターステラ-」が早くもDVDになったので早速レンタルしてきた。
逸る心でプレーヤーにディスクをセットすると冒頭の砂まみれのシーンから、「怒りの葡萄」の印象的な導入部が想起された。

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怒りの葡萄は、文豪スタインベックの代表作。
1931年から1939年に実際に起きた「ダストボウル」と呼ぼれるグレートプレーンズを断続的に襲った砂嵐を題材に採っている。
ダストボウルは、作物以外の草木を根こそぎ刈り取ってしまう効率重視の大規模農法が、剥き出しになった肥沃な土壌を乾燥した砂に変え、それが風に乗って砂嵐になる現象だ。
オクラホマ州の多くの農民は、その苛烈な砂嵐に作物をやられ、土地を捨てざるを得ず、果樹園での働き手を探していたカリフォルニア西部に移民していった。
怒りの葡萄は、エジプト王の圧政に耐えかねて約束の地カナンへ旅立つ旧約聖書の「出エジプト記」にその構造を借りている。
クリストファー・ノーランも、インターステラ-を「出“地球”記」として描いたのかもしれない。


約束の地カナンを探す宇宙への旅。
この旅の途中で人類は次元認識の異なる異種族とのファーストコンタクトを果たすが、これはまるでカール・セーガンの原作をジョディ・フォスター主演で映画化した「コンタクト」のようだ。

コンタクト [Blu-ray]
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そういえば、「コンタクト」にもマシュー・マコノヒー出てますね。


ワームホールや、異次元の認識に「時間」を使うなど道具立てがよく似ているからそう感じるのだが、映像の表現力はやはりクリストファー・ノーランに軍配が上がる。
 「インセプション」の夢の世界も素晴らしかったが、今度の宇宙も凄いよ。
特に「時間」という我々の目に見えないモノを可視化した映像技法には本当に感心した。
もし時間を視る目があるとしたらきっとあんな感じなんだろうと思わせる。


「出エジプト記」や「怒りの葡萄」のような、権力に虐げられる民衆とその中から立ち上がる導き手の物語は、西欧圏のコミュニティに深く根付いている。
ブルース・スプリングスティーンは、1995年のアルバム「ゴースト・オブ・トム・ジョード」で、アメリカは未だ怒りの葡萄の問題を解決してはいない、と語りかけている。
怒りの葡萄の問題意識は、今やグローバルに拡大された。
経済圏を拡大すれば国家の問題も世界の問題となる。

インターステラ-で描かれる未来世界も、疫病で主要な農作物が次々と地球規模で全滅し、食糧戦争で疲弊しきっている。
もはや最後に残されたトウモロコシの絶滅を目の前にして、人類の命運も風前の灯火となった。
しかし、教師までが「アポロ計画」はソ連を破産させるためのプロパガンダ。宇宙計画は二十世紀という贅沢と浪費の徒花で、だから科学教育などは無駄だと言い、未来を切り拓く力をもった子どもたちは生まれようがない社会になってしまっていた。

今を生きる我々に、それをまるっきりの絵空事と笑うことは出来まい。
爆発的に増え続ける人口は現実の問題だ。
それを養うために、遺伝子を操作して人間に都合よく作り替えられた動物や植物たち。
温暖化をいいながら、二酸化炭素の排出量をカネで取引する国際社会。
役に立つか立たないかを基準に、子供の教育を考える人たち。
何が起きてもおかしくない。
その時、導き手は現れるのだろうか。

インターステラー ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産/3枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]

2015年4月6日月曜日

少女ヒーローの系譜を継ぐもの~実写映画版「Another」

福田沙紀主演のテレビドラマ「メイド刑事」は、スケバン刑事の流れを正統的に引き継いで、00年代を代表する少女ヒーローものの傑作と思うが、それもそのはず。原作者の早見慎司氏は筋金入りの少女ヒーローヲタクなのである。


そんな筆者が新刊「少女ヒーロー読本」で本領を発揮している。
角川映画が作った若年向け邦画マーケットの中から生まれた傑作「セーラー服と機関銃」を嚆矢に、不良少女とよばれて、ポニーテールはふり向かない、スケバン刑事と続いていく「少女が戦う」ことの商品価値を語り抜く。

少女ヒーロー読本
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早見慎司
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現在入手できないマニアックな番組も含め、詳細に語りおろしていくが、なぜかこの「少女が戦う」ドラマにはバカバカしい演出が頻発し、そのバカバカしさを大真面目にひとつひとつバカバカしいと断罪していく筆致が実に痛快な傑作評論だ。

その最終章をまるまる使って「つみきみほ」という女優について語られている。
懐かしい名前だが、実は近年も実写映画版の「Another」に出演していると聞き、原作も読み、アニメ版も清原紘版のコミックも、オリジナルアニメ付きの予約限定版コミックも入手したというのに、実写版だけは観ていなかったことを思い出して、借りてきた。

Another(上) (角川文庫)
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実際に観るまでは見崎鳴を演じる橋本愛がミスキャストではないか、と懸念していたが実にVery Goodで、ミステリアスな造形から、後半素顔を見せていくところがあるのだが、この性格描写は実写版が一番よく描けているかもしれない。

問題は「赤沢さん」だ。
Anotherという物語は、見崎鳴と赤沢泉美の対立軸が背骨になっている。
重要な役なのである。
漫画版でもアニメ版でも入念なキャラクターデザインが施されている。



なのに実写版ではクライマックスの合宿シーンまで、ほとんど赤沢さんの出番はないのだ。



これはマズイ。
女優さんに責任はない。物語の冒頭から「現象」の対策に責任を持つ立場としての赤沢泉美を描いていないから対立構造が生まれないのだ。食堂でのイザコザなんかでそれを表現しようとしているからいかにも軽い。


この対立がないと、「死」と距離を置きたい見崎鳴が、その気持ちを押し切ってどうしてもこの「現象」の解決を自分の手で、という決意が生まれてこない。
案の定「もう誰も死んでほしくないの」などという実に彼女らしくない台詞で動機を説明することになってしまっている。
緻密な骨格を持つ作品だけに細かい改変が随所に影響を及ぼす。
残念だ。

原作既読者は、「死者」に関するある叙述的なトリックが映像作品でどう処理されているか気になっている方もいらっしゃるだろう。
漫画版もアニメ版もうまく処理していたが、人間が演じる実写ではどちらの手も使えない。そこで脚本をうまく変更して対応していた。
まるで違和感はなく、現実的。
この処理は原作よりも優れていると思う。


で、肝心の「つみきみほ」だが、本当にワンシーンのみの登場で、きっとあらかじめ意識していなければ「つみきみほ」だとは気づかなかっただろう。
若い時の顔が思い出せなかった。
「時をかける少女」でも、細田守アニメ版にも、仲里依紗版にも、成長した芳山和子が出てくるように、かつて花のあすか組などで、少女ヒーローの時代の終焉を看取ったつみきみほが、どちらかというと過保護な親類を演じるというところに意味があったのだろう。
しかし脚本も演技もそのコンセプトを表現できていたとは言いがたい。
Anotherという作品を二次的に表現し尽くしたのはアニメ作品の方だった。
よりカネの集まるアニメの世界の方に人材が育ってきた、ということなのかも知れない。


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