2013年7月21日日曜日

半藤一利「幕末史」

私の家内の実家は、泊原子力発電所の目と鼻の先にある。
だから原子力発電の安全性に関しては全く人ごとではない。

ある日、こんな話を聞いた。
日本の原子力発電所のほとんどは、戊辰戦争、および西南戦争までの日本各地で蜂起された新明治政府への抵抗勢力の土地に建てられている、という。

調べてみると確かに例外は浜岡だけで、あとは朝敵藩の領土に建てられていた。

まさか今に至るまで誰かが恨み骨髄に思っていて、復讐のために原子力発電を建てて廻ったということはないだろう。
政府が運営上、朝敵藩を冷遇してきた結果、利益誘導的な日本政治のこと、自治体運営自体がうまくいかなくなり、産業が育てられなかった結果、原発建設に適した土地が残っていたということと、交付金をもらってでも自治体運営をしていかざるを得ない状況になってしまったということなのだろう。

なんてことだ。
そんな昔の戦争の影響がまだ残っているとは!

急に、教科書で習った幕末がうすっぺらなものに思えてきて、ちょうど書店に並んでいた半藤一利さんの「幕末史」を手にとった。



冒頭から、教科書の歴史は薩長史観であるとの痛烈な指摘が。
そして「坂の上の雲」や「世に棲む日日」で僕らを痺れさせてくれた司馬史観も薩長史観の裡にある。

長い間、明治維新というのは攘夷派と開国派の政争と思っていた。
しかし根は関ヶ原で敗戦側につき冷遇された薩摩と長州が国威を取り戻すため、鎖国体制下で長崎に交易権が独占されている間隙をついて密輸入で莫大な収益をあげていたところにあったのだ。
ペリーの来航で、諸外国との国交が開かれると、この資金源が絶たれる。
ゆえの攘夷なのである。
今度は関ヶ原か・・

しかし、事態が進んでいくうち、戦争の歴史に鍛えぬかれた海外の兵器の力の違いや組織化された軍の洗練に触れ、攘夷は無理だ、となる。
となれば、開国後の権益を受け取る側になりかわる他ない。
ゆえの倒幕なのである。

かくして攘夷派は統幕勢力となり、それでも戦っている場合ではないと気付いた一部の俊英の素早い策略と慶喜の不戦の英断により、全面戦争になる前に大政奉還に至るわけだ。

しかし新政府は軍人ばかりで、政治家不在のまさに烏合の衆。
岩倉具視の海外視察団を派遣して勉強の成果を新国家体制作りに活かそうと言っているのに、留守中に西郷隆盛の独断専行による改革の乱発。
しかし征韓論の挫折で西郷が鹿児島に帰ると、今度は大久保利通が西郷派が抜けた政府の中枢を大久保派で埋め、改革を続ける。
そして、佐賀の乱を手始めに九州勢が蜂起し、西南戦争に至る。

この間の報道や巷間の声は、現代の政治批判の無責任さと全く同じで、読んでいると身につまされて辛くなる。

さらに西南戦争の直後、なんと日本は台湾征討に出て勝利する。
何をしているのだ。

さらに調子に乗ったのか、朝鮮半島周辺の海路を測量するといって、江華島付近にボートを下ろしたところに砲撃を受ける。いきなり砲撃というのもどうかと思うが、何しろ台湾を攻めた後なのだ。アジア各国もピリピリしている。無理もないと思う。
さらに、これをきっかけに大型軍艦を朝鮮に乗りつけ、朝鮮側の鎖国を開かせ、不平等な条約を結ぶ。
ペリーと同じじゃないか。これでいいのか。

またこの西南戦争や台湾征討の際、シビリアン・コントロールのもどかしさに痺れを切らした経験から、山県有朋が軍の統帥権を政府から独立して天皇陛下直下に置くようにしてしまう。

昭和の軍事大国化の流れは近代日本の成立にビルドインされていたのだ。

この失敗の経験から僕らは今の憲法を手に入れた。
やっぱり、これ簡単に変えちゃいけないんじゃないか。
そう思う。

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