2013年11月5日火曜日

漫画「ミタライ 探偵御手洗潔の事件記録」:日本文学がいつの間にか失った優しさの物語

モーニング誌で連載されている「ミタライ —探偵御手洗潔の事件記録—」だが、島田荘司ファンとしては見逃すわけにはいかない。
が、毎週漫画雑誌を買うというようなライフスタイルはとうにやめているから単行本が出るまで待って読んでいる。
その第二巻がついに発売された。


第一巻ももちろん既読で、「糸ノコとジグザク」「傘を折る女」の二本立て。
もちろん長編での壮大なトリックと人間描写こそが島田ミステリの真骨頂ではある。しかし短編もいい。事件の裏側に隠れるロジックが純度の高いアクロバットになりそこがとても楽しい。
通常のモーニングKCとは異なる質感の高い装丁もうれしい。

御手洗と石岡は美形のキャラクタとして描かれ、一昔前に流行った御手洗同人風。
島田先生はこれ抵抗ないのかな、と思っていたら、ご自身であとがきを書かれていて、むしろノリノリで当時の同人ブームを懐かしんでおられた。
懐が広いのである。


今回発売の第二巻では、名作「山高帽のイカロス」と大名作「数字錠」の豪華二本立て。
事件が見方を変えると、意外な真実の姿を現す見事な本格推理の「イカロス」も素晴らしいが、何度読んでも「数字錠」は本当にいい。

犯人もトリックもまったく意外じゃない。
でも、とにかくやり切れない事件だ。
「探偵はこんな罪も裁くのか」という御手洗の悲痛な台詞が忘れられない。

でも見逃しはしないのだ。
その代わり出来るだけのことをしてやる。
その御手洗の優しさの「質」がいいと思う。
現代のミステリのみならず、日本の文学が失った「優しさ」の表現がここにある。

小説的な技法の粋を尽くして読者をだますことに汲々としたミステリは、自身が文学の一部であることを忘れたかのようだ。
そういう風潮の中でもまったく魅力を失わないこの愛すべき作品が、漫画の姿で復活し多くの人の目に触れることはそういう意味でも実に喜ばしいことだと思う。

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