2013年1月10日木曜日

「この空のまもり」に見たニートの魂。



ハヤカワ文庫JAの「この空のまもり」。

ライトノベル界隈では、「ニート文学」とでも言えそうな作品ジャンルが確立していて、僕はこれがかなり好きだ。
これもそういった作品群のひとつ。

現在の経済の仕組みは商品価値とそれを生み出す労働力との差分を最大化することによって回転している。
どこまで行ってもそれは「搾取」の構造だから、このエンジンを回し続けるためには搾取元を探さなければならない。
グローバリズムというのはこの「調達の構造化」の最終局面だ。最初の「世界の工場」アメリカが成長しきって、副作用として調達コストが高くなり、バトンを日本に渡し高度経済成長を果たすと、中国・韓国がそれを受け継ぎ、今、アフリカ諸国の民主化が爆発的に進んでいるということは、その最終局面すらいよいよ終焉を迎え始めているということだ。
ユーロ危機もリーマン・ショックも日本の終わらないデフレも、その綻びの体現である。

グローバリズム・ローテーションの中で、役割を終えたはずの「年功序列」「終身雇用」「既得権益」などの日本型システムだけが堅持されたことで、金持ちの年寄りと仕事のない若者が生まれた。仕事のない若者は金持ちの年寄りに扶養され、ニートとなった。非正規雇用という低賃金労働のヴァリエーションが拡大され、不安定な労働市場が形成され、結婚や出産は、長期間の社会経験を必要とするか、恵まれた一部の人たちのものとなった。家や車は必要なくなり、設備投資はもはや富を生み出さず、消費は堅実になり、コモディティ商品だけが国際的な調達の成果で価格が下がっていく。
アメリカは同様の危機を国体の大きさを利用して、国内に格差を設けることで解消している。日本もその真似をしようとして一生懸命格差を拡大して、今や国民を守るための年金や医療などの社会福祉的体制は崩壊寸前だ。

ニートはこういったシステムの中から生まれ出た。
だから彼らには、旧来の価値観に染まった世代から努力不足の誹りを受ける謂れはもとよりなく、むしろその存在が、早く社会の構造を作り替えて行かないといろいろと手遅れになりますよ、という警告を発するカナリアだったのだ。そしてその知性的なカナリアであるニートたちこそ、社会変革の鍵になる、という発想が、ニート文学の骨格を支えている。
だから面白い。

ニート関連作品の嚆矢とも言える「東のエデン」(エデンの東ではない)というアニメーション作品では、先日発表された税大綱を大幅に進化させた相続税100%法案とか、画期的な政策を官僚が骨抜きにしないようにする、ちょっと思い切ったテロとか、なるほどと思わせるアイディアがてんこ盛りだった。

日本銀行の白川総裁は、長期化するデフレの原因は「グローバリズム」と「少子化」への対応が遅れているからである、と言っていた。そのココロは、通貨政策だけに目を取られずに上記のような大きな世界のうねりに目を向け、本質的な解決に向かうべきではないか、との指摘ではないかと思うのだが、いかんせん表現がカタすぎて真意が伝わらない。
いっそこの本でも安倍首相に読んでいただきたいところだが、表紙も含めちょっとお薦めしにくい。麻生さんなら読んでくれるかもね。


今回読んだ「この空のまもり」は、ニートたちが電脳世界に架空政府と架空軍を作って国家に改革を突きつけるというもの。
主人公の架空防衛大臣はもちろんニートで、隣に住む幼馴染の女の子を守るために電脳世界で小さな戦いを始めたところから、防衛大臣にまで登りつめてしまう。
で、戦いが大きくなったところで、自分の中に「愛国心という獣」が住んでいることに気付く。
うまいなあ。愛国心ってのは確かに「ケモノ」だよ。理性の対極にあるもの。
もちろんその獣はどんな人でも持っていて、だから内紛のもつれで仕掛けられた嘘をきっかけに戦いのさなか架空軍は暴徒と化してしまう。
主人公は、結局我々ニートは隣にいる大切な人しか守れないちっぽけな存在ではあるけれど、それ以上に大切なことなんてあるのかい?と、そんなに憎い外国人ってのは一体誰のことなんだい?と民衆に問うことでこの暴動を治めてしまうのだ。
どこにも所属せずに生きてきたニートたちは、弱い立場であるが故に数少ないリアルの縁を大事にしている。だから、頭の中だけにいる「愛国心という獣」に心まで奪われはしなかったのだ。
今の時代に本当に必要な冷静さって、こういうことじゃないのかな。
うーむ、やっぱり安倍首相に読んでほしいかなあ。