2014年7月23日水曜日

ソナタ形式で綴られるコメディー映画「ジャッジ!」の脚本が素晴らしい件

クラシック音楽の用語に「ソナタ形式」というのがある。

楽曲の展開のパターンのひとつで、簡単に言うと、まず主題が提示され(提示部)、その主題をさまざまに変形し、変奏する(展開部)。この緊張感のある(つまり主題からの逸脱)展開部を抜けた後、提示部の主題を再び繰り返す(再現部)形式のこと。

提示部の主題が第一・第二の二つの主題から構成されていることも考え合わせると、物語における起承転結にも似ているが、ソナタ形式の特徴はなんといっても再現部にある。
提示部で聴いた主題が、再現部で繰り返された時に、それが変奏を経ているがゆえに最初と違った心象風景を見せてくれる。

同じメロディが二つの顔を見せるのだ。
例えばそれは、自分が子どもとして育てられている時に、親の子育てを見てきて、今度は自分が親になった時にはじめて、あの時親が自分にしてくれたことの意味を識る、というようなことに似ている。
これがソナタ形式の醍醐味なのだ。

そして映画なんかを観ていて、この映画よく出来てるなあと感心するような時、脚本がソナタ形式に倣って書かれていることが多い。
今回観た「ジャッジ!」というコメディー邦画もそのような映画だった。

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妻夫木聡、北川景子主演。
妻夫木くんは、本当にコメディーではイキイキとした演技をする。
清州会議でのバカ殿役も実に良かったが、今回のはもっといい。


以前、広告の仕事をしていたので、冒頭のきつねうどんのCFのプレゼンで、「宣伝部長がネコといったらネコなんだ」というくだりがなんだかちょっと懐かしいが、そのちょい役の宣伝部長をあがた森魚がやっているという無駄な贅沢さがこの映画のクオリティを物語っている。

第一主題は、このあと、妻夫木くんが青森時代に憧れていた女性と東京で再会し、自分が本当にやりたかったことを思い出し、そのきっかけになった靴のCMのビデオをプレイバックするというカタチで奏でられる。

そして、役者として進境著しいリリー・フランキー演じる窓際社員から、第二主題が繰り出される。
ダメ社員の妻夫木くんが何故かアメリカの広告祭に審査員として派遣されることになり、英語も話せず、CMプランナーとしての実績もない彼に、リリー・フランキー扮する窓際社員が、これだけ覚えていけ、という英文をいくつかと、簡単な“芸”を授ける。
これが第二主題として機能する。


(当然のことだが)付け焼き刃の英語は、現地でとんちんかんなドラマを生み出す。
第二主題は、シチェーション・コメディの中でさまざまに変奏される。
その騒動の裏側で、第一主題に据えられた靴のCMもその作者の心境の変化として変奏している。


このお互いに関係しあって変奏を作り出していく脚本が実に巧みなのだ。

そしてピンチに陥って肚をくくった妻夫木くんが、それしか知らない「第二主題」を、大きく変化した状況の中で純粋に再現する。そして、事態があるべき姿に収束していくのだ。
で、ここのところが、この映画の面白さのコアなので詳しくは書かないが、実に見事だとだけ言っておく。


傑作なのである。


逆の例も挙げておく。
同時期に公開された西島秀俊、キム・ヒョジン主演のサスペンス「ゲノムハザードある天才科学者の5日間」 だ。

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冒頭から死体消失や、その死体からの電話など不可解な“美味しい”謎が提示される本格ミステリー。
原作はサントリーミステリー大賞受賞作。

で、この美味しいはずの謎は、すでにタイトルにてネタばらしされている。
そう、イラストレーターとして登場した人物は、実はとある天才科学者であることがすでに知らされているのである。
そして、畳み掛けるような“偶然”の連続で、物語は真相へと向かうのである。

真相がわかってみると、物語の起点すらもある不幸な偶然から始まっていた、という始末だ。
せめて何かの陰謀があって欲しかった、と思ってしまうほど必然性の薄い物語。
当然、ソナタもこなたもないのである。

だからといって、この映画が面白くなかったと言いたいのではない。
西島秀俊のかっこいい疾走シーンはおそらく日本映画史にくらいは残りそうな名場面だったし、キム・ヒョジンのどこまでも感情にストレートな演技も好感の持てるものだった。
シナリオもすべからくソナタ形式でなければならないというわけでも、もちろんない。

それでも「ソナタ形式」の応用が、観ているものを因果のサークルの中に捕らえて、その世界を体感させる仕掛けとして、やはりひとつの有効な手段であることを、このふたつの映画の印象は証明しているのではないかと思う。

2014年7月17日木曜日

映画「清州会議」:三谷幸喜の意外にも正攻法な清州会議解釈

映画「清州会議」をDVDにて鑑賞。

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三谷幸喜作品である。

本能寺の変のあと実際に行われた、織田家の跡目決めと領地分配の会議が題材となっている。
かつて、何度もドラマや映画に取り上げられた題材で、三谷幸喜がどのようにこの「よく出来た」お話を処理するのかに興味がわく。

誰もが跡目争いの候補としてノーマークだった当時2歳の三法師を、まんまと自分だけに懐かせ、抱きかかえて登場した秀吉が「殿の御前であるぞ、頭が高い」と抵抗勢力である柴田勝家を押さえつける清州会議のエピソードは、史実にしては出来過ぎた演出が施されているように感じる。
秀吉が登場するエピソードは、彼が天下人となったあとに「書かせている」いくつかの太閤記が下敷きになっているものが多く、実際どうであったのかはすでに判然としないものが多いのだ。

中でも特に清州会議は怪しい。

まず、三法師が跡目争いの本筋であると、秀吉だけが気付いていたというのが普通に考えておかしい。
三法師は信長の長男の嫡子なのである。
また次男・三男はすでに養子に出ている。
おそらく最初から三法師が筆頭候補であったはずだ。

また、会議が清須で行われた理由も、当時三法師が清州城に滞在していたから、と考えたほうが自然すぎるほど自然だ。

「十二人の怒れる男」を正反対のアプローチで舞台化した三谷幸喜が、この演出過多な「実話」をどのようにおちょくってくれるのか、を期待したわけだ。

しかし三谷幸喜は、本作品においては正攻法のアプローチで、仕掛けとしては柴田勝家を人情味あふれる昔気質の武士、秀吉をビジョナリーに仕立てて、時代の変わり目を生き抜く男たちのドラマとしてみせた。
また、その裏で、これまた昔気質な色仕掛けで運を引き寄せようとするお市と、現代的な謀略で最大の利益を生み出した松姫の相克をも走らせ、見事な現代劇に仕立てている。

思えば、三谷幸喜はすでに日本有数のヒットメイカーなのであって、僕が期待したようなオルタナティブな表現は、若い野心家に望めばいいのであった。


それにしても剛力彩芽にこの役は酷であった。
なにしろ麻呂眉にお歯黒。
どんな美人でも、そうとう厳しいものになる。
しかしだからこそ、最後の見せ場の演技で、あの「歯」は効いている。
かわいそうな気もするが、ちょっとゾッとしてしまった。

映画「パシフィック・リム」:菊地凛子の名演技

映画「パシフィック・リム」をDVDにて鑑賞。


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公開時には日本でもずいぶんな話題作だったと思うが、これなら日本のアニメにもっと優れた作品がいくらでもあるだろう。
少なくともシナリオ、および設定に関しては二番煎じの印象を拭い去れない。
見せ場のシーンでもエヴァンゲリオン、ジャイアント・ロボなど、ああこれはあれだな、みたいな元ネタを感じさせるものが多かった。
監督さんは日本の特撮ものをリスペクトしている人なんだそうで、ゴジラの本多猪四郎監督への献辞もラストに流れる。

それでも映画として充分楽しめたのは、やはり菊地凛子さんの名演によるところが大きい。
アクションもいいし、内心の葛藤を表現する演技が実に日本的で、類型に堕さないところがよかった。


でもこの映画はそれだけかな。
あ、あと芦田愛菜ちゃんのハリウッド進出作ってこれだったんですね。


2014年7月10日木曜日

劇場版「黒執事」のたったひとつの見どころ

アニメの2期放送に先駆けて、水嶋ヒロ×剛力彩芽のキャストで実写映画化された「黒執事」

もともと原作漫画でも、アニメ化作品でも、例えば「悪魔との契約」という魅力的な文芸的背景を持っているにもかかわらず、そこを研究した気配はない。
何かの文芸作品や映画などへのオマージュも特に感じ取れない。

ただしアニメ版には「坂本真綾が演じる少年」という立派な見どころがあり、作品として成立はしている。

この劇場版では、剛力彩芽をキャストするために組まれたオリジナルの設定、つまり本当は女の子だが当主を継承できるが男の子だけなので正体を隠しているというギミックが活きている。

どこで活きているかというとひたすらにメイドのリンのためにだ。
原作でもドジっ子メガネメイドとして登場するこのキャラクターが、この映画のメインキャストである。

映画でもリンはやはりドジだ。




しかし、主人の危機にあたり、正体を表す。
メガネが外れて、戦闘者としてのリンが姿を現す。って、山本美月かよ!

メガネでわかんなかったよ。

ここのアクションシーンが凄い。
格闘技で、相手を倒して馬乗りで迷いなく射殺。

その後も武器商人のボディガードたちを倒しては銃を奪い、殺す。
ご主人様の剛力を逃した後、大量のボディガードにひとりで立ち向かうシーン。
よく上着脱いだりして戦いの体勢を整える場面で、ベルトをキュッと引き、スカートの裾を絞る。
かっこいいです。この仕掛け。
メイド戦闘のスタンダードになると思う。


そしてここがアクションシーンのハイライト。
捕まえた敵に乗り、銃を奪い、そのまま回転しながら射撃、周囲の敵を薙ぎ払う。
これ、ご本人がやってるんだとしたら凄い。
水野美紀の後継として充分、やっていける。
で、戦い終わってセバスチャン(執事)に助けてもらって、メガネに戻る。

この後、敵執事と黒執事のバトルとか、意外な真犯人とか、そのまた背後に大物が、とかいろいろあるわけですが、結局このメイドバトル以上の盛り上がりはありませんでした。
というわけで、山本美月演じるリンのバトルシーンを中心にご紹介いたしました。

映画は続編に含みを持たせるエンディングでしたので、次回もリンの活躍に期待したいです。







2014年7月5日土曜日

映画「真夏の方程式」:容疑者xの本格問題への回答

映画「真夏の方程式」をDVDにて鑑賞。
東野圭吾さんのガリレオ・シリーズ、「容疑者xの献身」に続く映画第二弾、ということになります。


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「容疑者xの献身」に関しては、「容疑者xの本格問題」を軸に、以前このような文章を書いている。
→我「容疑者xの献身」を楽しむものに如かず

ガリレオ・シリーズの映画化であるから、やはりこの問題を避けて通ることはできない。
二階堂黎人が提起した「容疑者xの本格問題」の起点はこのような指摘だった。

こ の本の真相(湯川の想像)には、読者に対する手がかりも証拠も充分でなく、読者はそれをけっして推理できない。よって、作者が真相であるとするものが最後 に開示されるまで、読者は真相に到達し得ない。つまり、そういう結末の得られ方(作者からの与え方)は《捜査型の小説》であるから、《推理型の小説》では ない(=本格推理小説ではない)、ということなのである。

本作「真夏の方程式」においても“湯川の想像”は、やはり推理とは呼びがたい“飛躍”を内在させていた。
そして、容疑者xと同様に、 その想像自体は、事件を解決するためのものでなく、もっぱら事件に関係した者の心の状態を変化させることに寄与するのである。

もっと突っ込んで言えば、謎を解くことだけでは、事件を解決したことにならないよ、という作者からの「容疑者x問題」への返答ともいえるのではないか。


また本作では、脱原発問題を想起させる「環境保全」と「資源開発」という二項対立が、物語の軸として立てられている。
どちらが正しいかではなく、どちらを選択するか。
それが人間にできる議論のせいぜいの範疇である、とガリレオは折に触れ両陣営に示唆している。
それぞれの立場にしがみついて、逐一否定して反論しあっていても、どこにも辿りつけない。


映画では、ある少年の成長を通じて、今の日本のあちこちで見られるこのような閉塞の風景を浮き彫りにしていく。
人間が正しく生きていくために必要な“地図”が科学だ、とガリレオは少年に告げる。
「今、学校で教えていることは将来の役に立たない」などと、大のおとなが言い立てるようなこの国で、僕らはどこに辿り着こうとしているのか。
すべての少年のとなりにガリレオはいないのに。

2014年7月3日木曜日

映画「謝罪の王様」:Gomennasai is not “I'm sorry”.

映画「謝罪の王様」をDVDにて鑑賞。
さすが、クドカン×阿部サダヲ。脚本も演技も名人芸。一級のコメディーであります。

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僕は18年間営業の仕事をしてきたが、だいたい仕事の半分はなんらかの謝罪だ。
ミスに起因するものもあるが、クローズド・マーケットで決まった顧客と長期に渡る取引をする業界では、提供した商品がお客様の期待どおりでないときも、適切な謝罪が必要になる。

営業現場での謝罪においては、「それが本当は誰のせいか」ということは問題にならない、どころか問題にしてはならない。
それが自分以外のスタッフのせいでも、またはいかんともし難い社会情勢に起因するものでも、たとえお客様自身の勘違いであったとしても、すべてを代表して頭を下げるのが謝罪というものだ。

リクツを超越した「許してください」という純粋な気持ちだけが、謝罪の要諦である。



だから、映画内で、謝罪センターができるきっかけとなったラーメンチェーンの謝罪対応の迷走ぶりには、わかる、わかると大きく頷いた。
謝罪することと、事態を収拾するということの間には深くて大きな溝があるのだ。

国際弁護士に、謝罪の何たるかを語るシーンにも日本的な謝罪の本質がよく表現されていた。
だいたいI'm sorry.ってなんなんだ。
なんで、私は残念だ、と表明することが謝罪することになるんだ。
同じ意味でエラい人が「遺憾に思います」っていうのも、ちっとも得心がいかない。
「それはわたしのせいではありません」って言ってるのと同じだろ。


グローバリゼーションの中で、日本が喪った大事なもの。
それが謝罪だ、というのがこの映画のテーマだろう。
おおいに共感します。


さて、この映画にはもうひとつ見どころがある。
それはエンドロール。
E-Girls、エグザイル、VERBALの豪華共演による主題歌のミュージック・ムービーが凄い。
ぜひ観てください。

2014年7月2日水曜日

映画「ルームメイト」:物語のミスリードと映像のミスリード

映画「ルームメイト」をDVDにて鑑賞。
もちろん北川景子を観るためである。

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思いのほか、本格的なサスペンス/ミステリであった。
原作は、今邑彩さんの小説で、漫画化もされているようだ。

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ミステリには、映像や漫画にされると、読者へのミスリードがうまく働かなくなる種類のものがある。
今邑彩さんの「ルームメイト」もそのひとつなのだが、本作では二人の女優をうまく使ってそこをクリアしている。
だからやはり見どころは、と問われれば、北川景子と深田恭子の女優としての質の違いに集約される、と答えるだろう。

北川景子は、どんな役をやってもどこかに北川景子そのものを映し出しながら役を演じる。
「謎解きはディナーのあとで」のお嬢様も、「死刑台のエレベーター」の警官の恋人も、「悪夢ちゃん」の先生もどこから見ても役を纏った北川景子なのである。

一方、深田恭子という女優には、役の中に“ワタクシ”が入り込まない。
「夜明けの街で」での深田恭子はあくまでも秋葉なのであり、「ヤッターマン」に出れば、やっぱりコスプレを超えてドロンジョ様そのものになってしまうのである。

その深田恭子の本作での複数人格の演じ分けの見事さといったら!
人格の揺らぎは、この映画のコアであり、そのように瞬時に複数人格を行き来するのを、最後、北川景子が、その実在感ですっぽり受け止める、という構造になっている。
いわば、小説特有のミスリードの手法を捨て、映像ならではのミスリードに切り替えているのだ。

キャスティングの妙で見せる映画である。


もうひとつ付け加えるなら、映画の後の主題歌がいい。
とてもいい。
完全にこの映画の一部となって、気になるその先の彼らの運命を、“余韻”として引き受けてくれている。

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