2013年10月29日火曜日

大森葉音「果てしなく流れる砂の歌」:父性と母性の相克の物語

僕はファンタジーの熱心な読み手ではないが、いくつかのハイ・ファンタジーには強い愛着を持っている。

ハイ・ファンタジーとは独自の世界観や歴史をもつ架空の世界(異世界)を舞台とし、多くの場合超人的なヒーローではなく、等身大の登場人物によって展開される。

世に、ハイ・ファンタジーは数多くあるが、その中でも「クシエルの矢」のシリーズと
「ミストボーン」のシリーズを僕は偏愛している。

「クシエルの矢」は、我々の生きている現実社会のヨーロッパにとても良く似た異世界を舞台にした物語で、そこでは精神的にも肉体的にも「愛すること」が信仰の中心的な行為となっていて、それゆえ売春が神聖な職業として認知されている。
この世界で、特異な性癖と徴(しる)しを持って生まれた売春婦の数奇な運命を、日本で発表されているだけでも各3巻で3部構成の全9巻にも及ぶ一大絵巻として描いたものだ。

売春が聖職であるという特異さを解説するために、この物語では全体の1/18ほどを費やして売春の場である「館」の生活を微に入り細に入り綿密に描く。
また、その背景にある宗教を説明するために、主人公の恋人が異教に傾倒していき、ついには入門してしまい、宗教の根源的な成り立ちを学ぶという場面を設定して、こちらは1/27ほどを使って徹底的に描ききっている。

一ヶ月ほどかけて読了した時には、すっかりこの異世界の一員になってしまった気分だった。


「ミストボーン」シリーズでは、ある特定の血筋の人間だけが精製された金属を体内で「燃やす」ことで様々な超能力を発揮できるという世界を描いている。
偶然に自分にもその能力が備わっていることに気付いた少女が、破滅に瀕した世界が何故そうなったのかを知る旅に出るという物語だ。
こちらも(奇しくも?)各3巻で3部構成の全9巻で成り、能力の説明や世界の謎についての語り部の物語を挟んで、異世界の説明に紙幅を費やしている。

こちらも世界の中にすっかり取り込まれて、読了した時には長い長い旅が終わったような気がしたものだ。


さて、この度、ワタクシの大学時代からの友人である、ミステリ評論家の大森滋樹くんが初の小説作品を世に問うた。
しかもハイ・ファンタジーの分野で。


実名で評論活動をしているからか、本作「果てしなく流れる砂の歌」は大森葉音(ハノン)というペンネームで書いている。
ハノンというのは、あのピアノ教則のことだろうか。
彼は熱心なクラシック音楽の愛好家でもある。

そんな彼らしく、この小説では音楽が物語の構造を支えている。
この世界では歌う、ということは感情そのものだ。
何度も繰り返し強調される「うたえ!」という言葉が、異世界の異文化を支える感情として聴こえてくる。

彼は我々の母校北海道大学のミステリー・サークルにも関わっていたりする関係で、サブカルチャーの類にも造詣が深い。
重要登場人物のムルカとプリームの造形といったら!
ライトノベル・レーベルから出して、アニメ化なんて手もあったんじゃないかと思うくらいだ。

話運びも、さすがにキャリアの長い読み手である彼らしい起伏に富んだもので、7章の乾坤将棋のくだりが実にいいんだなあ。
現実と夢がないまぜになって、人間の奥底に眠っている真意がカタチを持つ時、そのカタチがなんて不合理なのか、ってのは日常でよく感じることなんだけど、それを文章でこんなふうに提示されると、昔の恥ずかしい自分のこと思い出して、もう逃げ出したくなっちゃうくらいリアルだ。
ファンタジーだからこそ、観念の世界はリアルじゃなきゃいけないんだよ。

ハイ・ファンタジーを書くということは、異世界を構築する作業だから土台をしっかり創っておかないと簡単に崩れてしまう。
彼はここに<父>と<母>という、この世界での精霊の争いという軸を通した。
<父>の支配は垂直的=ロジック・オリエンテッドで、天界=「有頂天」を支配している。<母>の支配は水平的=ラテラル・マナーで、地界=「金輪際」を支配している。

我々の住むこの現実世界にも「父性」なるものと「母性」なるものの相克がある。
社会にも、もちろん家庭にも、そして個人の中でもそのふたつはいつもせめぎ合っている。
世界は複雑になり、善悪の二分法的なロジックは通用しにくくなっている。「決定を下す」ことで成り立っていた父性は喪われた。
世の価値観とはあまり関係なく普遍的な価値観として誰の心にも存在していた「母性」が結果的にクローズアップされてくる。
しかしラテラル・シンキングは共有することがえらく難しい。
だから僕らは、なんでもかんでもシェアしはじめた。
そして、誰かが気付き、誰かが決めて、誰かが行動していることをシェアすることで、自らが喪った父性を補おうとしているのかもしれない。

作者は、この綿密に構築された異世界の中で、おそらく意図的に現実世界との類似を匂わせている。
物語のそこここにたくらみが満ちている。

だから、そこに不満がある。
これはもっと長く書かれるべき物語だ。
素材、人物、物語に3巻構成くらいのボリューム感を感じる。
少し器が小さいように僕には思えるのだ。

僕の好きなハイ・ファンタジーは例外なく長い。
当然だと思う。
そこに世界を創造するのだ。
あらゆる前提を解説不要な通常のブンガクとは必要な器の大きさが違っていて当たり前だ。
処女作として与えられた器は、彼の考えている小説世界には少々手狭だったような気がする。

創造された多くの国々や、魅力的なサブキャラたちも自分たちの活躍が書かれる日を待っているはずだ。
タイトルにある通り、歌は終わらない。
作家は処女作に収斂する、のである。

2013年10月18日金曜日

島田荘司「星籠の海」:弱き者たちへの賛歌

島田荘司先生、お久しぶりの御手洗潔シリーズ最新作「星籠の海」は、国内編最終章と銘打たれ、これが本当であれば石岡和巳とのあの絶妙の掛け合いもこれで最後かと、とても残念に思う。


可愛い娘を見ると、すぐにのぼせあがってしまう傾向のある石岡センセだが、本作でも冒頭からファンの子とデートなんかをして、やっぱり御手洗に妨害されたりしてる。で、そのファンの子の友達から最初の事件が告げられるのだ。

事件は、四国、松山沖の興居島の湾にどこからともなく身元不明の死体が六体も流れ着いたというもの。
さっそく興居島に飛んだ御手洗と石岡は、瀬戸内海特有の水の満ち干きが鍵であることを確信する。
たった三箇所で外海と繋がるまるで大きなプールのようなこの海は、潮の満ち干きを利用して大阪から九州へ高速で移動できる水の街道として使われていた。
そして便利さ故に海賊の跋扈する海ともなり、その状況を利用して通行料を取って護衛をしたのが村上水軍なのだそうだ。

死体がどこから流されたかを探しているまさにその時、警察に不審な死体発見の報が。
その死体こそ流されて興居島に辿り着く運命の死体と踏んだ御手洗は、一計を案じて死体遺棄の実行グループを突き止める。

さらにその道行きで知り合った村上水軍を研究している女性助教授が登場。
その女性助教授にものぼせ上がる石岡センセ。
しかし、この助教授にのぼせ上がっているのは石岡だけでなかったため、次なる事件が起きてしまう。

ここを鮮やかな推理でささっと解決した御手洗は、その解決の過程で新興宗教がこの町を乗っ取ろうとしていることに気付く。
そしてその教祖が、国際的な大物犯罪者であることにも。

そしてこの新興宗教教団に搦めとられていく、ある哀れな男の人生。
その男の人生に決定的な影響を与えた女の悲劇的な末路。
それを忘れさせてくれた女に起きる不幸な事故。
すべてが絡み合って、事態はどこまでも悲劇的に進んでいく。


新興宗教を筋立てのエンジンに使った小説は他にもいくつもある。
最近だとやはり村上春樹の1Q84か。
同じ推理小説の畑では、有栖川有栖の「女王国の城」がある。
いずれも信仰という絆を演出する周囲と少し変わったルールが、長い時間をかけて小さな慣習を積み重ねて作ってきた社会というものとの軋轢を作っていく様子がうまく描かれていると思うが、島田荘司先生は徹頭徹尾、そこに搦め捕られざるをえない人間の弱さを描く。
そしてその弱さがどこから来たのか。
大人たちが子どもの未来の為にどう生きていかなければならないのかについて、大きな紙幅を使って描きこんでいる。

他者の生への透徹さに支えられた優しさだ。
ただ優しいなら、それは自分のためのものだ。
目をそらさずに、都合よく解釈せずに他者を見つめる視座。
それがどの島田荘司作品にも共通して流れている。
そしてそれこそが、人間のどうしようもなく利己的な心から生まれでてしまう殺人という許されざる行為を裁くためにどうしても必要な物なのだと思う。

この小説はだから、島田荘司先生が、これまでずうっと推理小説という畑に蒔き続けてきた正しさの種のひとつなのだ。
そこから育つ、よき推理小説を一冊でも多く読ませていただきたいと思う。
作家の皆様、ぜひよろしくお願いいたします。

2013年10月14日月曜日

島田荘司「摩天楼の怪人」:欲望の境界が悲劇を生み出す時

島田荘司先生の御手洗潔シリーズは、語り手が石岡和巳であってこそ、と私は思っている。

探偵自身が語り手を務めることが多いハードボイルドでは、要するに探偵が真相に辿り着くまでのご本人の奮闘が読みどころになるわけだが、つまりそれは読み手の我々とほぼ同じ視点で物語が展開していくことになる。
しかし、天才的な探偵が、同じ手がかりを得ているのに誰も気付かない真相に、論理のはしごを二段飛ばしで駆け上がっていくのに快哉をあげたい時がある。
当然、その常人ならざる探偵ご本人が語り手を務めると、ふむ、つまり犯人は執事だね、と一行で終わってしまう。
だから、常識と先入観に囚われた愛すべき一般人の語り手が必要とされるのである。
そのような、推理小説の語り手として御手洗潔シリーズの石岡和巳氏は最高で、彼の独白の人間味にはなんというか自分自身の情けなさが島田荘司先生に見抜かれているような気恥ずかしさすら感じてしまうほどの共感を覚えるのだ。

だから一般に石岡を語り手としない御手洗ものには大事な何かが欠けているような気がするものだが、もちろん例外もある。
その筆頭が、この「摩天楼の怪人」だ。
これは、御手洗がアメリカに渡り、コロンビア大学の助教授だった頃の事件。
語り手をつとめるは、ブロードウェイの脚本家ジェレミーだ。


ミステリを主食として読んでいるとよく感じることだが、アメリカには本当に禁酒法時代を描いた作品が多い。
この物語でも禁酒法時代のアメリカについて、アメリカに定住するほど彼の国を愛しておられる島田先生なりの禁酒法時代の総括が書かれている。
それは外部からの視点から見たアメリカで、ある意味では一方的でさえある。
でも、公平な意見なんかに何の意味がある?


僕にはなぜ、アメリカの人たちが文学の題材としてこの時代を選ぶことが多いのかわかったような気がした。
新しい歴史教科書としても有用だと思うので、ここに抜粋してご紹介しようと思う。

1910年代、ニューヨークの株への投機熱は過度にヒートアップしていた。
現在の中国やBRICsのように「世界の(いや当時は欧州の、か)工場」として機能したアメリカは、その時期どの企業の業績も大きく伸びていったからだ。
街には遊民があふれ、皮肉なことに彼らの富を作り出していた労働人口は年を追うごとに減っていった。
ニューヨーカーは世界の王となり、農村の貧困を尻目に、欲しいものは全て手に入れた。

そして1914年、欧州は大きな戦火への火蓋を切った。
アメリカも17年4月にドイツに宣戦布告、大戦に参加した。国中から男たちがいなくなり、ニューヨークにはますます労働人口が不足して、州政府はセントラルパークの北に大々的な居住施設群を用意して、南部から大量の黒人労働力を誘致した。

さらに19年、信心深い婦人たちによって、男たちが留守の間に「禁酒法」がルーズヴェルトの拒否権発動にもかかわらず、議会を通過した。
ギャングたちは密造酒製造工場を各地に造り、軒並み億万長者になった。(ギャツビーのように)彼らは、農村で食い詰めていた人たちをこの非合法の工場に吸収し、おびただしい数の犯罪者予備軍とした。
そして粗悪酒の大量摂取はおびただしい廃人を作り出した。
ギャングは豊富な資金力で一国の軍隊並みの兵器と機動力を得て、多くの警官を殺した。

そして29年、金融大恐慌が起こる。
幻想の価格は無に帰し、恐慌の業火はウォール街を発し世界中を焼きつくした。

世界の王だったニューヨーカーの多くが無一文となり、路上に放り出された。失意と悪酒に沈んだ彼らは高層ビルの乱立で陽光を失った冷たい路上で凍死した。
そしてそこはギャングの王国となった。


・・こうしてみると、現在の世界の有り様というのは、やはり人間の欲望の連鎖が作り出した当然の帰結に思える。
人類は進歩しているように見えて、肝心なところには無自覚なままだ。
無自覚だから慣性にまかせて、サイクルが大きくなる。
また、禁酒法の施行に関しては、それが純粋な善意によるものであっても、一方の言い分だけで作られたものは良い結果を生まないという教訓のように思える。それもある意味では「欲望」のひとつの形なのだ。


このように世界を前提した島田荘司先生は、ニューヨークを舞台に壮大で社会的な「オペラ座の怪人」を描いた。
カネも名誉もいらなくなった、現世に利害を持たない「怪人」は純粋に自分の欲望で動く。その純粋さゆえに、その「善意」は鋭く一方的で迷いがない。そして筆者が前提した通り、その先には悲劇しかない。

隣り合った二人の人間の間には「欲望の境界」ができる。
車がびゅんびゅん走る車道を走るのは怖いから、自転車も舗道を走りたいが、歩行者だって、自分の横を自転車でびゅんびゅん走られるのは怖い。車道を我が物顔で走っているように見える自動車も信号を無視しながらいつも自分の前や横を走っている自転車の存在が怖い。
社会の中には複層的に「欲望の境界」が存在しているのだ。
そしてどこかで一方的な気分になった時に悲劇が起きる。

本来は、このような悲劇が起きないように、理性的に引かれた線が「法」であり「公共」という精神なんだと思う。
しかし、現代は欲望万能の時代。
法律さえも経済の下僕だ。

公共を公の秩序と読み替えるような憲法改正、集団的自衛権、消費税、秘密保全法。
後世の作家たちは、この時代をどんなふうに書くのだろう。

2013年10月12日土曜日

ロアルド・ダール「あなたに似た人」は、切実な愚かさに苛まれる我々の「生」を積分している

2013年のノーベル文学賞には短編小説の女王、アリス・マンローが選ばれた。
そういえば最近、短篇集を読む機会が多い。
村上春樹氏が編んだ「恋しくて」に唸り、C.L.ムーア(この人も女性だ)の「シャンブロウ」の復刻に狂喜したばかりだ。

それでもやはり短篇集と言われると、ダールの「あなたに似た人」が思い浮かぶ。
こちらも先日新訳で、二分冊になって再刊行された。

どんな文学だって、「人間」のことを描いている。人間の心は単純でなく、自分ですら気づいていない、いやむしろ自分にこそわからない部分を持っている。
そのことへの止まない関心が物語を書かせるのだとも言える。
だから短編を書くのは難しい。

そして、文学的技術の粋を尽くして構築された、仕掛けだらけの、その意味ではちょっといびつな形をしたそれを読むのは、もっと難しい。
筋立ての中に埋没すると見えなくなってしまうものが、どこかに隠してあるのが短編というものだからだ。

ロアルド・ダールの短編はその「複雑さ」をラストの余韻にぎゅっと濃縮して表現することを突き詰めている。
だから最後の最後、本当にどうなったかわからない。
それは一瞬先が、心の奥底がわからない、二重の不透明さから人間が逃れられないことをダールが描こうとしているからなのだ。

この新装版は分冊になっている。
読んでみると、第一集が、結末に纏わりつく「わからなさ」自体を主題とした作品を集めたものとわかる。
第二集では、不可解な状況を作り出す想像力に際立つ作品が集められている。
まずはこの卓越した編集の技でダールの魅力を二面から表現した編集者の手腕に拍手を送りたい。

凡百のホラーが人間の恐怖を微分したものになりがちなのに対して、ここでのダールは多種多様で、切実な愚かさに苛まれる我々の「生」を積分している。
確かにこの物語は「わたし」に似ている。そう思う。

2013年10月8日火曜日

ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」を読む(5):グリーンランドのヴァイキング

ジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」を読む、の第5回。
今回は、第2部第6章「ヴァイキングの序曲と遁走曲」から第8章「ノルウェー領グリーンランドの終焉」までをまとめて読みます。

表題のとおり、主人公はヴァイキング。
古ノルド語の襲撃者を意味するヴィーキンガーを由来に持つその名の通り、海の襲撃者である。

ヨーロッパの中では、最もローマ帝国の影響から遠かった辺土、スカンディナヴィアに地中海の帆船の技術が伝えられたのが600年頃。
ちょうど同じ頃に、改良型の鋤が伝来し農業の効率が飛躍的に上がった。
その時代、気候は温暖で収量は安定して増え、それにつれて人口が爆発的に増加し、700年頃にはもう国内での可耕地の利用が限界に達したほどだった。

彼らの帆船の技術も進化しており、増え続けるスカンディナヴィアの人口は海上経由で国外へと広がり始めた。

希少な海獣の毛皮を持っていた彼らはヨーロッパの富裕層と交易をはじめ、金や銀で支払いを受けた。
しかしそのうち、その金や銀をただで手に入れられることに気付き、襲撃者へと転じていったのである。

793年6月8日、イングランド沖リンディスファーン島にある裕福で無防備な修道院への襲撃が端緒だった。
以来、航海しやすい夏に襲撃を繰り返していったが、数年経つうち、秋にわざわざ母国に戻るのをやめ、めぼしい海岸に越冬用の居留地を築いて、春のうちから襲撃に出られるようにした。
そして最後には、略奪と退却さえやめて、相手を征服してヴァイキングの国家を設立するという形になったのだ。

ヴァラング(スウェーデン)人は、東のバルト海へ船を出し、川をさかのぼってロシアに辿り着き、後に連邦の先駆となったキエフ公国を設立した。
デンマーク人は、西に向かいライン川をさかのぼって、フランスにノルマンディ公国を築いた。
ノルウェー人は、アイルランドへ向かいダブリンに大規模な交易の中心地を設けた。

こうしてヨーロッパに入植していったスカンディナヴィアの人々は現地の人たちと結婚して、古ノルド語も捨て、ヨーロッパ社会に溶け込んでいった。

ヨーロッパへ向かう航路の途中、道を外れて流されてしたったヴァイキング船もたくさんあった。
これらの船はフェロー諸島や、アイスランド、グリーンランドなどを発見して入植した。

彼らの船は新大陸にも届いて、ヴィンランドにも入植を試みたが、先住民族の抵抗にあい、わずか十年で撤退を余儀なくされた。

その後ヨーロッパ各国でも襲撃対策が進み、スカンディナヴィア本国でもまっとうな交易に力をふりむける王が登場し、1066年を最後に、ヴァイキングの襲撃はなくなった。


こうして侵攻という形をとってヨーロッパやロシアに入植していったヴァイキングたちは、スカンディアヴィアの優れた製鉄技術や畜産技術を携えて現地の文化に溶け込んでいった。溶け込めなかった北米大陸やアイルランドへの入植者は追放され他の地に流れた。


概ね成功したヴァイキングの拡大戦略だが、グリーンランドの入植は悲劇に終わった。
現在のグリーンランドは、その名に相応しくない荒涼とした荒地が広がっているが、ヴァイキング入植時は、豊かな森林を持つ「緑の地」だった。

ヴァイキングは海の民のように思われているが、陸に上がった彼らは優秀な農業者であり、畜産家であり、製鉄技術者だった。
製鉄は、大量の木を使う。
特に畜産に成功したグリーンランドの入植者は、天然の海獣タンパク質にも恵まれ、人口は増え続け、繁栄していった。
が、不幸なことに良質な鉄鉱石が出ないグリーンランドの地では、より多くの燃料を投下しないと製鉄ができないという悪条件があった。
ここまで読んでこられた方はもう予想がついただろうが、他の滅亡した文明と同じようにほどなく森林資源は底をついてしまう。

もう繰り返し書く必要もないような気がするが、樹木のない地では、土壌がすぐに痩せてしまい農業も壊滅的なダメージを受ける。
この地では畜産に必要な牧草も育たなくなって必要なタンパク質が得られなくなった。
増えすぎた人口を養うカロリーはもはやこの地からは得られなかった。

グリーンランドには、先住民族のイヌイットが住んでいて、彼らはヴァイキングの繁栄とは無縁の自然と密着した「成長しない」社会を粛々と営んでいた。
成長しないとは言っても、彼らは豊かな海産物を少ない同胞の食糧にだけ利用するので、非常に安定した生活を営んでいたのだ。

しかし危機に瀕したグリーンランドのヴァイキングたちは、彼らに協力を求めることはできなかった。
彼らは入植後、ヨーロッパの富裕層と交易をしていく中でキリスト教に感化され、熱心な信徒になっていたのだ。
「異教徒」との共生は彼らの選択肢にはなかった。

そうして、グリーンランドのヴァイキング入植者は、この地から姿を消した。
入植から集落の消滅まで、450年。
彼らは充分長い時間を繁栄とともに生きた。

しかしだからこそ、その繁栄の崩壊への共通因子には注意をはらう必要があるだろう。
社会を養うキャパシティを測る時、我々は自然環境を数値に変換して、いわば「臭い消し」を施してものを考える。
実際のそれは、耳を澄ましさえすれば今も恐らく悲鳴を上げている。

自然環境は、いろいろな要素が絡み合った複雑系だ。
そして我々自身もその一部として長い時間をかけて共存のスタイルを作ってきたはずなのだ。
それが、人間の生活を便利にする技術が、一定の影響範囲を逸脱し環境そのものを大きく変え始めている。

そのことは徐々に理解され始め、環境を保全する重要性も語られ始めてはいる。
しかし、ここまで読んできた文明の崩壊の物語は、人間が富や権力を渇望するときのエネルギーの凄まじさや、それに目を奪われときに何を犠牲にしてきたのか。また我々の社会に不可分に組み込まれた宗教という統治システムが、何を見えなくしてきたのかについて教訓を発している。
我々自身もまた自然という複雑系の中の一部だと認識しなければ、グローバリズムによって否応なく結び付けられた我々全体を大きな厄災が襲うのを避ける事はできないかもしれない。

2013年10月3日木曜日

ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」を読む(4):マヤの崩壊

ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」を読む、の4回目です。
今日はいよいよマヤ文明の崩壊について書かれた第2部第5章を読みます。

マヤ文明は、今から一千年以上前に、メキシコのユカタン半島を中心に栄え、そして崩壊した。
一般には、スペインの侵攻によって滅亡したと考えられているだろうが、この時生き残っていたマヤ人は数十万人で、その前に五百万人規模のいくつもの王国からなる大文明が栄えていたのである。
人口の激減という危機を迎え、複雑な文字を持つ高度な文明を伝えながら細々と暮らしていたところにスペインが侵攻してきて、ディエゴ・デ・ランダによる歴史上最も悪質な文化破壊である徹底的な焚書を行い、ヨーロッパの文明に書き換えられてしまった。
この絶望的な事態さえ乗り越えて、現代もマヤの子孫たちは彼の地で暮らしている。

本稿では、古典期マヤの人口激減について主に扱う。

マヤの栄えた地域は、今まで見てきた文明の崩壊地に較べて、雨量が予測困難な地域ではあるものの環境の脆弱さは致命的というほどのものではない。
むしろ、コロンブス到着以前の新大陸において最も進歩的で創造性豊かな社会のひとつだったといえる。
それでも、人口の激減は襲ってくるのである。

マヤに何が起きたのか。

スタートはやはり森林破壊と侵食。
そして、それを後押しする旱魃、という構造は今まで見てきた文明崩壊と同じだ。

気が遠くなるほど長い時間をかけて世界各地におい茂った樹木という資源を使って、人類が繁栄し、その数が限界点を超えた時点で急速に森林資源を使い尽くしてしまうという基本的な人類という種族の行動パターンがここにも見られる。

また、社会を神からの統治権を得た王が統べ、もっぱら降雨の責任を負わされたというのもマヤの社会にも共通しておきた事柄だ。
旱魃は、農業にもダメージを与えるが、政治機構にも大きなダメージを与えるのである。
これもまた多くの崩壊した文明と同じ。

つまり問題は、それをリカバーする何かの幸運に恵まれたかどうか、ということになる。

マヤは恵まれなかった。

逆に、阻害する要因が社会の中に育っていた。
それが王同士、貴族同士の競争が慢性化して、社会に内在する問題の解決より戦争と石碑の建造を常に重視するという風潮ができていたことだ。

現代でもそうだが、階級化された社会は、食糧を生産する農民と、官僚や軍人などの非農民で構成される。非農民は食糧を生産せず、農民が作った食糧を消費するだけである。したがって農民たちは、どのような階層社会でも、自分たちの必要な分だけでなく、ほかの消費者たちの必要も満たすだけの食糧を供給しなければならない。
生産を行わない消費者を何人養えるかは、その社会の農業生産力にかかっている。

現代のアメリカの高効率農業では農民ひとりが平均して125人の他の人間に食糧を提供している。
古代エジプトの農業でも自分の家族に必要なぶんの5倍の収量があったと言われる。
しかし、マヤでは自分の家族を養えるぶんの2倍しか収穫することが出来なかった。
主食のトウモロコシがタンパク質の含有量が低い上に、集約性も生産性も低い作物だったことや、その他のイモ類などの作物を作れなかったことがその主因である。

これが少しの気候変動がすぐに社会に致命的な食糧不足を招く主要因であるとともに、マヤに争いが絶えなかったことの遠因である。


まずマヤには大型の家畜がいなかったため、戦争の際、糧食を人が運んでいた。エネルギー効率が悪く、湿潤な気候下で保存性の低くなるトウモロコシを運んで戦争に行ける距離は著しく制限される。
そのため、マヤの各集落は戦争によって侵略、統合し、大帝国になっていくというプロセスを踏まなかった。
より良い農地を求めての小競り合いを周辺部で繰り返すだけだったのである。

そしてこの「均衡」は、旱魃によって崩れる。

神の血族と称し、降雨と繁栄を約束した王の言葉は履行されなくなる。
王は、それを祭礼の象徴が「小さい」からだと、民に大きな石碑を作らせるようになった。それが森林伐採を加速する。
しかし状況は改善しない。
足りない資源を求めて、国をあげて隣国を襲う。
しかし争いに勝っても、当然のことだが天候は回復しない。

人々の健康は失われ、人口は加速度的に減少していった。

その危機の間、たくさんあったマヤの王国の為政者たちはみな、私腹を肥やすこと、戦争、石碑を立てること、農民から充分な食糧を取り立てることなど、短期的な利益に関してしか注意を払わなかった。

と、書いていながら、まるで現代の新聞を読んでいるような既視感を覚える。
ルワンダの民族紛争もマヤの「隣国との戦争」と同じだ。
ここ十年くらいの日本の政府がやったこととやらなかったことのリストを作れば、政策についての短期性と長期性の網羅性の高い例示ができ、本稿とよく似た手触りの絶望感が得られるだろう。

未来のことがわからないのは当たり前だが、これほど何度も過ちを繰り返すのなら人が学ぶ意味はいったいどこにあるのだろうか。

2013年10月2日水曜日

ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」を読む(3):古の人々

ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」を読む、の第3回。
本稿では、第二部第四章の「古の人々」を読む。

今回の主人公は、アメリカ大陸南西部に遺跡の残るアナサジ族だ。
人口4000人程度の文化圏で、数世代の繁栄の後こつぜんと姿を消した。


1200年頃、この文明は滅亡し主な領地であったチャコ峡谷は遺棄されていた。
その600年後、牧羊民のナバホ族がこの地を領有するが、自分たちが発見した偉大な遺跡を築いたのが誰なのかわからなかったので、彼らの言葉で「古の人々」を表す「アナサジ」という名で呼んだ。

遺跡のある場所は現在ではチャコ文化国立歴史公園となっている。
アメリカ南西部のニューメキシコ州にあるこの地域は、降雨が少ないうえに予測不能で、農業を営むには脆弱かつ限界に近い環境にある。

このような場所でも人間が切り開いてしまう前は、長い時間かけてつくられた森林が生態系を支えていた。そして、アメリカ南西部の先住民族は、この厳しい環境故に複雑に発展し支えあった生態系を利用して、現代のどんな国家よりも複雑精緻な農業社会を作り上げたのだった。

この農業の成功は周辺の部族を近くに引き寄せ、チャコ渓谷の周囲に衛星都市を作り始めた。衛星都市の部族は、様々な資材を中心土地に貢ぎながら、共存した。
豊かで大きくなった都市には「格差」が生まれる。

中心部には信じられないことに6階建ての石造りの建物が並び、その周辺を宝飾品をあしらった高級住宅が取り囲んだ。
そこに住んでいた人たちは衛星都市群からの「貢物」で豪華な生活を楽しんでいたようだ。

そこから少し距離を置いて農業従事者の住居と農地が配置された。

中心地に住む人たちの権威を担保していたのは「雨乞い」の能力だった。
もちろん特殊能力があったという話ではない。
この時期100年近くに渡って湿潤な気候が続いたのだ。

雨乞いの「成功」でこの小帝国は安定し、周辺都市との関係も良好だった。
その間に繁栄は続き、これまで見てきた文明の滅亡と同じように環境の破壊が特に早いスピードで進んだ。
わずかに残っていた森林が伐採され尽くしたのだ。
あとは同じことの繰り返し。

土壌の養分が溶脱し、水の少ないこの地域では灌漑を行っていたので、土壌も合わせて流れでてしまった。
そのタイミングを見計らったように1130年に旱魃が訪れ、この旱魃は4年しか続かなかったものの、限界まで大きくなっていた文明はあっという間に息の根を止められた。
急激に訪れたカタストロフィに住民たちはこの土地を捨て、散り散りにアメリカ大陸の他の地域に逃れた。

後の計算によれば、この4年間の旱魃も400人のアナサジ族を充分養う雨は降ったようだ。
しかし、4000人の「帝国」の繁栄は、その一部である400人をもそこに住まわせ続けることができないほどに環境を破壊してしまっていたのだ。


現代を生きる政治家や経営者、成功したビジネスマンや最先端の研究を続ける研究・教育機関など社会の中心部でそれを動かしている人たちには経済が好調のうちは多大な浪費が許されている。

そういう人たちは国家の財政状況が悪くなったら税金を上げればいいんじゃないの、と思っている。
もっと快適な生活をするための新しい機械やシステムを日々開発しては、古いものを捨ててしまうように仕向けている。
そしてもっと儲けるためには世界中が市場であるべきだと信じて、あらゆる意味でグローバルな新しい社会を作ろうとしている。

雨乞いによる信仰システムが作り出した、衛星都市群とのネットワークが豊かな富を作り出し続けている間、アナサジ族の人たちが自らを滅ぼす放蕩と変動に無頓着であったことを、現代に生きる僕たちはよく知っている。
知っているにもかかわらず、今度は地球規模で滅亡へとひた走るレールをせっせと引いているように見える。

政治という統治システムの限界なのか。
人間という種に組み込まれた自浄システムなのか。

2013年10月1日火曜日

ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」を読む(2):最後に生き残った人々ーピトケアン島とヘンダーソン島

ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」を読む、の第2回。
本稿では、第二部第三章の「最後に生き残った人々」を読む。

さて前回読んだように、不用意な環境破壊によって滅びてしまったイースター島文明だが、絶対的な孤立状態にあったことも滅亡を早めた要因だったかもしれない。
しかし、交易する文化圏を近くに持っていても滅亡から逃れられなかった文明がある。
それが、イースター島から西に2000km離れたピトケアン諸島だ。

ピトケアン島は無人島だと言われていた。
1790年にイギリスの戦艦バウンティ号で叛乱を起こした船員たちが逃げ込んだ。
ところが、逃げ込んだ船員たちは、そこで聖堂のある祭壇、岩面彫刻、石器などの古代人が居住していた証拠を無数に見つけた。

ピトケアン島の東方にあるヘンダーソン島にも同様の遺跡があり、2つの島の文明がいつかの時点で滅亡したことは確かなようだ。


調査によるとこの2つの島は、この海域で最も大きな島であるマンガレヴァ島との交易で相互に足りない資源を補い合う関係だったようだ。

そのマンガレヴァは、外側を珊瑚礁に守られた直径24kmの大きなラグーンから成り、魚介類が数多く棲んでいる。
中でもクロチョウガイという大型の二枚貝は、黒真珠の養殖に使われるほか、厚い殻が釣り針や刃物、装身具を作るのに利用されていた。

樹木と淡水に恵まれたこの島では、タロイモやパンノキ、バナナなどの作物を作ることが出来た。

このように資源に恵まれ、大きな人口を抱えたマンガレヴァ島だが、脆い貝殻を刃物に利用せざるを得なかった。石器に好適な良質な石に恵まれなかったからだ。

そして石はピトケアン島から良質なものが産出した。
そのピトケアン島は農業にも漁業にも適さない島で、ほとんど人は住んでいなかったはずだが、おそらくカヌーで行き来できる距離にあるマンガレヴァの人が入植して、本島との交易によって集落を作ったものと思われる。

お隣のヘンダーソン島は、珊瑚礁が隆起してできた島で、豊富な海産物が採れ、特に亀の営巣地としては南東ポリネシア唯一の存在。大型の鳩が定住していて、タンパク源に事欠かなかった。
しかし淡水の量が限られていたため農作物を作ることができず、少ない人口しか抱えることが出来なかった島なのだ。

マンガレヴァは、この2島と交易関係を結び、良質な石器の材料や亀や鳩といった珍味を手に入れ、人口が増え文化も発展していった。
外交を統括しながら富をコントロールする優れた政府が出来、400年ほどの間、周辺の小さな島々も結んで豊かな文化圏を作ったようだ。

しかし、繁栄が絶頂に達した時、イースターと同じことが起こった。
まず木材がすべて伐採され、生態系が狂い、漁業資源や農作物が失われていった。
マンガレヴァの政府に依存していた諸島はあっという間に無政府状態に陥った。

全域で少なくなった資源を取り合い、世襲政権の無策に怒った民衆の中から非世襲の軍事政権が出来上がり、差し渡し8kmの島の東西で島の支配権を巡って激しい戦闘が続いた。

木材がなければカヌーはできない。
彼らはどこかに逃げることもできないのだ。

むしろ絶対的な孤立状態だったイースターよりも人為性の高い急激な滅びが展開されたに違いない。


現代に生きる我々は、基本的に生物としての人間が生きるのにさほど好適でないにもかかわらず、世界を動かすエネルギーとしての「石油」が産出するから、という理由で極めて豊かで文化的な生活を送っている都市を知っている。
そして、そのエネルギーに大きく依存した生活をしている自分自身のことも。
だから、ピトケアン島の末路はまるで他人事ではなく、他山の石などはないのだと我々に教えてくれている。

国家のキャパシティを超える危機を飲み込んだ時に現れるのが「軍事政権」だというのも現代でも変わらない。
これだって「怒り」のエネルギーが間違いなく人間の本質の一部であるという証拠なのだ。

そして差し渡し8kmの島で行われた滑稽な争いを我々は嗤うことはできない。
ためしに、ちょっと我慢して我が国の国会中継を見てみるといい。
人類の歴史は今だって「コップの中の戦争」でいっぱいなのだ。