2015年3月18日水曜日

星間グローバリズム~キャプテン・フューチャー第三巻「挑戦!嵐の海底都市」

キャプテン・フューチャー・シリーズの第三作は、「挑戦!嵐の海底都市」
これも1940年の作。

おそらくハミルトンはこの作品を書くにあたって、SF作品をシリーズ化していくことは、作品の中に架空の未来史を構築することだと気づいたのではないだろうか。
前作「暗黒星大接近!」の中で、宇宙のサルガッソーに囚われた時、宇宙開拓時代の先駆者マーク・カルーの船を発見するが、今作においてそのマーク・カルーの冒険を1971年とあらためて規定して、さらにその旅でカルーが発見したグラヴィウムという鉱石が、太陽系に地球人が覇権を築くキー・ファクターになったという設定を加えている。

グラヴィウムという鉱石は、電気を流すとその極性によってプラス、マイナスの両方向に重力制御ができるというまるで魔法の石だ。
発見者のマーク・カルーが、この鉱石を使って「重力等化機」という機械を考案する。
質量の異なる惑星でも母星と同じように活動できるようになるこの機械を身につけて、地球人は太陽系内のすべての惑星を探査した。
そして、各惑星に住んでいる先住民にもこの技術を提供して太陽系をひとつの経済圏に束ねていくのである。


物語は、このグラヴィウム鉱山の利益を独占しようと目論む「破壊王」とフューチャーメンとの死闘を描く。
太陽系各地で起こるグラヴィウム鉱山でのテロ。
謎の首謀者「破壊王」と、その現場に現れるなぜか言葉や動きのぎこちない手下たち。
そこに海の惑星に伝わる「シー・デヴィル」の伝説が絡んできて・・
という、シリーズに共通した謎解きの面白さも楽しめる。

またジョオンとカーティスの恋もゆっくりとだが前進しているのが見て取れる。
ラストでカーティスが、太陽系連合崩壊の危機を免れて喜ぶ恋人たちを街でみかけて、オレにはこういう幸せはなかった、としみじみ思い起こすシーンはもしかしたら二人の恋の進展を示す最重要シーンかもしれない。


この物語が書かれたのが1940年であることを考えると、ひとつの経済圏になった太陽系連合が、リベラルで進歩的な調和の世界を実現したように見えながらも、やはり愚かしい植民地政策の傷跡を、地球人漁師に扮装して海王星の盛り場に乗り込んだアンドロイドのオットーが、「なるべく地球人らしく横柄な態度で振る舞」ったりするようなところに残していて興味深い。

さらにそのような現実のメタファーに「グラヴィウム」という一体化した各惑星の経済を支える基盤を設定することで、夢の様な惑星間貿易の世界が、まるでグローバリズムに翻弄される現代のようにも見えてくるところなどは非常に予言的だ。
これぞSF!

カーティス・ニュートンは、各惑星が地球の優れた科学技術の恩恵を受ける世界を、生命をかけて守る価値のあるものと捉えて死闘に挑んだが、本の向こうの現実からそれを見ている僕には、もし地球人が宇宙進出などせずに自分が生まれた星の資源で足ることを知って暮らしていてくれたら、海王星の水棲人や冥王星の月に住むステュクス人などの生活は、あれほどに波瀾万丈なものにならなかったのではないか、と想像せずにはいられず、複雑な気持ちになる。

事実、薔薇色の未来を描き続けてきたSFの世界も、この後ディストピア小説が主流になっていくのである。

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2015年3月10日火曜日

扇動者と無私の言葉~キャプテン・フューチャー第二巻「暗黒星大接近!」

キャプテン・フューチャーの第二巻は「暗黒星大接近!」

あらゆる放送チャンネルに割り込んで、太陽系に迫る暗黒星の危機を警告した謎の怪人ザロ博士は、暗黒星の接近を防ぐ未知の力線を支配している自分に全太陽系の支配権を渡せと要求した!

天文学者たちは、暗黒星を調べ、そのあまりの質量の小ささに危険はないと保証し、政府はそれを発表し市民の動揺を抑えようとするが、天文学者たちが次々と失踪したため、彼らが逃げ出したものと見なした市民たちは政府への不信をつのらせ、暴動に発展。
太陽系政府首席はこの危機にキャプテン・フューチャーに出動を要請する。

失踪した天文学者を追っているうち、地球人のように見えていたザロ博士の手下の正体が毛むくじゃらの未知の人類と判明し、その姿を誤認させる未知のテクノロジーが冥王星由来のものであると突き止める。
舞台は冥王星に移り、ついに未知の文明を持つ種族を発見する。


前作と同様、今回も犯人は扇動者であった。
映像と錯覚を使って大衆をコントロールする犯罪はあまりに現代的で、予言的だ。
権威であるはずの科学者の言葉も簡単に無効化されてしまう。
思えば、僕らも水俣や石綿、放射能に至るまで「ただちに健康に影響はありません」という言説がひっくり返っていくのを目の当たりにしてきた。

もし現代にザロ博士が現れてとして、その煽動を一笑に付すことが出来ないどころか、政府発表につきまとう「騙されている」感への反発というカタチで自ら暴動に加わってしまうかもしれない。

本作でザロ博士に協力してしまう種族も、次々に惑星や衛星に植民していく地球という勢力への恐怖からのことだった。
文明の衝突は、いつも相手がこちらを誤解しているのだ、という「誤解」からはじまる。
この屈折した誤解は、自分自身への理解が足りていないことから生じるものだ。

だからいつも「無私」の境地にいるカーティスの言葉だけが、他者に届く。
残念ながら、どのような言葉で猜疑心に満ちたステュクスたちを太陽系連合に迎えられたのか、詳細は語られていないが、きっとそういうことなのだと思う。


本作には、宇宙時代を拓いたパイオニア、マーク・カルーが登場するが、次作で重要な設定が付加されて、単発の活劇だったキャプテン・フューチャーがその名の通りの「未来史」になるために重要な役割を果たすことを付記しておく。



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2015年3月3日火曜日

1940年のナースコス~キャプテン・フューチャー第一巻「恐怖の宇宙帝王」

レナード・ニモイが亡くなった。
「宇宙大作戦」がなかったら、スペースオペラの楽しさに出会えたかどうかわからない。
生涯愛するであろう「キャプテン・フューチャー」にも。
ミスター・スポック、本当にありがとう。

そのキャプテン・フューチャーも、長い間絶版で、大学生の頃一所懸命古書店で探して全巻集めた。
だから東京創元社が、2004年から全巻の復刻を敢行してくれて本当に嬉しかった。

この機会に再通読して、各巻のレヴューを試みる。
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第一巻は「恐怖の宇宙帝王」。

木星でウラニウムの鉱床が発見されて栄える新開地(ブームタウン)。
そこに群がる地球人たちの間で「先祖返り」と呼ばれる恐ろしい奇病が蔓延する。
人間が数日で凶暴な猿のように変化してしまう奇病になすすべも無い太陽系政府首席のジェイムズ・カシューは、月に住む冒険家にして科学者のカーティス・ニュートン=キャプテン・フューチャーに事態の収拾を依頼する。

木星に飛んだカーティスは、木星人を煽動して地球人への叛乱を目論む「宇宙帝王」と出会う。
不思議な未知の科学技術で武装した「宇宙帝王」
伝説の木星古代文明との関係は。

というシンプルな活劇スタイルのプロットの本作には、しかし魅力的な言葉で木星人たちの中にある抑圧への反発を引き出す宇宙帝王と、その強さによって原住民たちの脅威を取り除くことで信頼を得るカーティス・ニュートンの違いはどこにあるのか、という問いが隠されている。

それは「動機」である、と誰もが答えるだろう。
しかし私欲のためとはいえ木星人を操って地球人への叛乱を起こさせることは、木星人を地球人のローマ的支配から解放するという実益があったはずだ。
カーティスの鉄拳は、一見正義に見えるが、その強すぎる刃はカーティスが敵だと「思う」側に向けられているだけで、例えば彼を襲ったことで命を奪われるディガーやクロウラーは、人間とコミュニケーションを取れないというだけで敵認定を受け、一方的に命を奪われているのである。
まるで、ヒトラーとナポレオン。

そういう意味で、勧善懲悪という名の思考停止が、この種の活劇の「面白さ」を支えているという逆説について、現代の読者である我々はもう少し自覚的であってもいいのかも知れない。

しかしもちろんそのような読み方は1940年に書かれたこの物語に対してフェアではないし、 キャプテン・フューチャーの冒険にドキドキしながら読んで、はあー、ジョオンとはどうなるのかなあ、などと想像して本を閉じるのが幸せな読み方だと思うし、基本的に自分自身もそのように読んだ。

そのように読めば、やはり本作において最も重要なシーンは、ジョオン・ランドールの登場であると言っていいだろう。
しかも惑星警察機構の女性諜報員ジョオン・ランドールは、調査のため看護婦に扮装して奇病「先祖返り」の患者が収容されている病院にもぐりこんでいるのである。
1940年のナースコス。
なんて歴史的な。

さらにラストシーン。
カーティスはコメットのコックピットで「あれは素晴らしい娘だね、サイモン」とつぶいたあと、あわてて「だから、どうだってことはないんだけどね」 と付け加えるのだ。
ツンデレかよ。

やはりエドモンド・ハミルトンはエンタメの天才なのである。

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2015年2月22日日曜日

御手洗潔と進々堂珈琲:島田荘司

昨年の森博嗣「すべてがFになる」に続き、ついに御手洗潔がテレビドラマ化される!
番組HP

ドラマ化されるのは「UFO大通り」収録の短編「傘を折る女」だそうだ。

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「傘を折る女」はすでにコミカライズされている。「絵」になるストーリーに御手洗潔という名探偵の天才性を突き詰めて表現した、このタイプの代表作といえる。


島田荘司御大はいまだに旺盛に新作を書いており、御手洗ものの新作「星籠(せいろ)の海」で僕らを唸らせてくれたばかりだ。

その御手洗潔の大学生時代を描いた異色作が、新潮社から「進々堂世界一周〜カシュガルの追憶」というタイトルで出版されていたが、このたび文庫化された。
文庫化にあわせて「御手洗潔と進々堂珈琲」と改題された。

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が、あろうことか新潮文庫に新設されたライトノベルレーベル「NEX」からのリリースと聞いて昔からのファンは驚いたのではないか。
角川から出ていた「ロシア幽霊軍艦事件」と同時刊行となった。

表紙はサカサマのパテマやNO.6のキャラデザをやったtoi8さんだが、落ち着いたイラストでいい感じである。
が、やはり小説としてはNEX読者とはちょっと相性が悪いのではないか。

案の定、読書メーターなんかを見ていると、「初御手洗です。ミステリじゃなかったです。がっかり」的な反応が多く、明らかに失敗している。

これは御手洗潔という探偵物語の奥深さを指し示すAnother Sideなのであって、ファンにこそ深く刺さる作品。決して初御手洗にふさわしいものではないのだ。


ここに収録された4つの短編には、どれも国を跨ぐ人と人の繋がりが描かれている。
どの物語も、読み終えた後にむしろ「自分の国」について自分が知っていたと思っていたことが幻想であったということを思い知らされる。

田舎町にある「外国」と言っていいバーを経営する女性を好きになった高校生。
小さな街ながら、学習障害があるために異邦人として生きる少年が、自分の限界を超えていこうとする時に立ちふさがる偏見。
太平洋戦争を舞台に、植民地化された朝鮮の志願兵が体験する「祖国」からの迫害。
シルクロードの交差点で大英帝国とウイグルとの間で板挟みになった知識人の悲劇。

筆者はこの短篇集で、一貫して「愛国」という言葉の危険な思考停止を描いている。
それは日常にもあり、弱者の視線を見失った時に凶器に変わることを示唆している。
自分の視線がすべてだと思い込んだ人たちの善意が、抗い得ない運命として弱者を襲うことを教えてくれている。

誰もが、今よりもいい生活を望んでいるという幻想がそのエンジンを廻している。
隣の人が自分と同じだと思い込むシステムが僕らの神経組織には、ミラーニューロンという形でインストールされているので、なかばやむを得ないことではある。
それでも、自分と違う人がいるということ、その人が望んでいることもまた自分とは違うということを想像する知性がなければ、この世界から争いは無くならない。
争いが無くなることを望む人を「お花畑」という人は、それを想像したことがないのだろう。

ミステリだと思って読んだのにそうでなかったので残念だ、という感想こそが残念だ。
この物語は、人間という知性はなぜ時に想像する力を失うのかという最大の謎について描かれたミステリの傑作なのである。

2015年2月3日火曜日

セプテンバー・ラプソディ:サラ・パレツキー

サラ・パレツキーのV.I.ウォーショースキー・シリーズ第16作「セプテンバー・ラプソディ」
絶好調なのである。

シリーズ最長にして、間違いなく最高傑作の登場と言いたい。


セプテンバー・ラプソディ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
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不思議なことだが後半を読んでいて、なんとなくCDをバッハの無伴奏チェロにしなくては、と思った。
CDを換えると、まもなく物語の中でも同じ曲が流れ始めた。

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この曲は、16世紀の繁栄の後、宗教的な対立がヨーロッパの歯車を狂わせていった時代に、そのような人間の欲得とは無縁のところにバッハが打ち立てた金字塔だ。


この物語にうずまく本当にいろんな形の「エゴ」と、純粋な学問への「愛」のどうしようもない交わらなさ、にその対比はよく似ている。

人間は理解し合うことが絶望的に難しいからこそ、超越したものに憧れるのだろうか。

2015年1月28日水曜日

日本語と私:大野晋

最近、北海道の砂川市という小さな街にある、いわた書店の一万円選書が話題だ。
その人の嗜好にあった本を、これまでの読書歴から店主が勘案して一万円分の本をセレクトして送ってくれるというサーヴィス。

店主のブログなどを読むにつけ、驚かせてくれそうで気になるが、自分で読みたいと思う本で僕の時間は精一杯だ。
逆にこの本ならすべての人に読んで欲しい、と思う本ならある。
でも書店さんのように責任はとれないからブログに書く程度にしておこう。

今なら断然この本。
大野晋先生の「日本語と私」だ。


日本語と私 (河出文庫)
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大野 晋
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国語学者が著した、学問としての「日本語」との格闘の記録。
だが、ここにはあらゆる働く人への示唆が満ちている。

夏目漱石の小説からすべての「は」と「が」の用法を書き抜いて、はじめて主格の助詞の用法を知る。
いくつかの時代にまたがる古い辞書をくまなくひいて、はじめて「お」と「を」の仮名遣いの相違の真意を識る。
コソ・・メの用例を知りうるだけ集めて吟味をして、万葉集の句に異解を示す。

誰もがハンナ・アーレントの言う「イェルサレムのアイヒマン」になる可能性がある。
そうならないための本当の確信とは、このような徹底した作業によってしか生まれないということだろう。

その大野先生から見れば、現代の国語教育はまことに不本意なものだろう。
古今東西の名作を2~3ページに細切れにし、「犬君が雀を逃した」という部分を「源氏物語」だと言って教える。こんな非道いことはないと嘆く。
このような形ばかりの平等主義を教育に導入したものこそ「アイヒマン」の精神なのだと感じられる。

では私学による個性的な教育に期待しようということになるが、そうなると経済格差が教育成果にまで及び、さらなる格差の拡大につながる。
北欧のように、教材は教員の自由という行き方がいいのではないかという思いが募るところだ。

教育改革に話が及べば、本書にも終戦以降の教育改革の歴史が記されており興味深い。
こうある。

戦後は、国語教育に、生活経験学習という行き方がアメリカから輸入された。文部省はそれを新教育と呼んでいた。従来の教育を暗記偏重、生活から遊離した知識の習得と非難し、実生活を通じた生きた知識を身につけなくてはいけないととなえた。

今さかんに議論されている大学入試の改革でも聞かれる言葉だ。
いつの時代も、それまでの教育は「知識偏重」と見えるのである。
ということはだ。
要するに、やはり教育とはどこまでいっても「暗記による知識の習得」であるということなのだろう。
新しい時代への対応のために、それまでの教育を批判しなくてはならなくなった時、ほかに言いようがないから「知識偏重」と言っているだけのことだ。

一見クイズのように見える問題が入試に出たとして、問うているものの本質がその解答限りのものであるという考え方は少し偏狭なのではないか。

もし大学入試改革が、ネットでの軽薄な言説のように、部分を切り取って批判を積む手法で行われるとしたら、戦後から今までずっとやってきた迷い道と同じだ。
こんなときこそ、大野晋先生が日本語と格闘するときにお見せになる、あくまでも真摯に事実と仮説を行き来する方法が採られるといいと思っている。
そして「働く」ということのすべてのシーンで、この真摯さが必要とされているはずだ。
その意味で、あらゆる人におすすめしたいと思う本なのである。

2015年1月15日木曜日

ぼくの住まい論:内田樹

内田樹先生の「日本辺境論」からは、「中華思想」というアジア全域を舞台に、想像を絶する長い時間をかけて展開し続けた壮大な政権交代システムのことを学んだ。

日本辺境論 (新潮新書)
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「現代霊性論」という著作からは、信仰のあるなしにかかわらず、「死者を正しく弔うこと」への畏れの感情があることを学んだ。なぜなら人は死者のほんとうの気持ちがわからないからだ。

現代霊性論 (講談社文庫)
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これらの「論」には定性的なエヴィデンスがない。
しかし心が納得する。
それはきっと自分自身のこれまでの経験が、その論を支えている思考の展開を支持するからだろうと思う。


新潮文庫に新しく収録された「ぼくの住まい論」は、それらよりもずっと身近なテーマを題材にしているが、論調は変わらない。

ぼくの住まい論 (新潮文庫)
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冒頭から、誰のものでもなかったはずの土地に、勝手に線を引いて売り買いする権利はどこから発生したのか、という刺激的な疑問の提起からこの本ははじまる。
家を建てるための最初の一歩である「土地の入手」への疑義からこの本ははじまるのである。

続いて、一般的な家族の有り様や、家の構造が、家族の中で最も弱いものをかばうようになっていないことに強い疑義が提示される。
家が、傷つき疲れたものが体を癒やし英気を養うためのものでなく、強者が住まうことが前提になっているから、バリアフリー化をしたり、手すりをいっぱいつけたりしなくてはならない。
その家に住めなくなった者のための施設も必要になる。
国家予算の半分ちかくを社会保障に費やす必要があるのは、個々の家に福祉の“思想”がないからだと喝破しているのである。

また家を建てるための材木を探す中で、グローバリズムが日本の林業を壊滅寸前まで追いやっている現状に直面する。
“安いからこっちを買う”という精神の貧しさ。
近隣の産業を壊滅させれば、今まで自分の生活を消費者として支えてくれていた隣人を失うことに気付けない愚かしさを指摘する。

左官職人や瓦職人の生き方から、分業でないことの力強さを語る。
寺田寅彦の「文明が進むほど、自然の暴威に破壊されるものが大きくなる」という言葉を引用し、レヴィ・ストロースの言う、間に合わせで生きていく技術「ブリコラージュ」に言及する。
なぜ分業し高度化するのか。
それは経済的成長のためだ。
では、経済的成長とは、いや有り体に「儲かる」ってどういうことだ。
内田先生、ここに至ってカネをたくさん得ることへの疑義を呈する。

「交換」を効率的に行うために作られた“虚構”であるところの貨幣は、それ自体に価値はない。
交換して得られるべきものも、自分の身体のサイズを超えて得る意味は無い。
サイズを超えて求めれば、貨幣で貨幣を買うしかない。
この滑稽なゲームが我々が現在金融経済とよんでいるものの正体であると。

家作りの工程に併せて、内田先生の社会観がひとつの形になっていく見事な論説集と思う。
いや、意地悪な言い方をすれば、今まで出されてきた衒学的で寄せ集め感の強い論考集の多くが、家作りという人間存在を嫌でも「表現」してしまうテーマの元でうまく統合された、というべきか。

効率重視で勝つことが最優先の世界への疑義。
弱き者への視線が社会を根本から変えていくというビジョン。
現代にこそ提示されるべき「小国寡民」と「アジール」の思想。
それらのすべてが「住まいの思想」の中に統合され得ると証明してみせたことが本書の真の果実なのである