2016年5月24日火曜日

Blog統合のお知らせ

こちらのBlogは現在更新しておりません。現在はGirasole Records Blogに内容を統合し、そちらで更新しておりますのでよろしければ遊びにいらしてください。
お待ちしております。

please,go to this URL.
http://girasole-records.blogspot.jp/

2016年5月20日金曜日

僕たちもきっとそんな「道化」の一員なんだ 〜 島田荘司『屋上の道化たち』

島田荘司先生の新作「屋上の道化たち」が出た。
星籠(せいろ)の海に続く、御手洗潔シリーズの記念すべき50作目である。


僕はかなり依怙地な文庫派で、いくら世評の高い作品でも文庫化を待つ。
本自体の重さも苦痛だし、表紙が曲がらないのがページを繰るのになんとも不具合で、読書への没入を妨げるからであって、決して貧乏症だからではない。

そんな僕も島田荘司先生だけは別格で、出ればすぐ読みたいという気持ちが勝り、ハードカバーで買ってしまう。それに、島田作品だけは本がどんな体裁であろうとも読書への没入が妨げられるということはありえない。

あのリーダビリティはどこからくるのだろう。
もちろんその最大のキーは「謎の提示」にあると思う。
今回も、絶対に自殺などしそうもない者が次々と飛び降りてしまう不思議な屋上、という謎が提示される。
一見シンプルに視える「状況」に隠された真相が知りたくてページを捲る手が速まる。

また島田作品に描かれる市井の人々のリアルさも重要な要素だと思う。
不運のサイクルに組み敷かれ、もがいても這い出せない人たち。
組織の空気に組み込まれ、流されていく人たち。
僕たちもきっとそんな「道化」の一員だ。
どこかに身に覚えのある光景につい感情移入しながらまたページを捲る。

そんな人たちが織り成す「時代」という現象を、批判せず、擁護もせず、ルールよりも人間を見つめて、鮮やかに謎だけを解く御手洗という探偵の振る舞いに、ミステリーという文学ジャンルの大切な役割のようなものを読む度に感じさせられる。
『星籠の海』のような大作ではないが、むしろこの『屋上の道化たち』のような作品にこそ、御手洗潔の視線の温かさが感じられて僕は好きだ。

この単行本にはシリーズ50作目を記念して、御手洗潔シリーズ全作品ガイドが巻末に収録されている。この部分だけでも充分購入する価値があると思う。

屋上の道化たち
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島田 荘司
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2016年5月16日月曜日

宗教戦争の時代にあらためて読まれるべき名作の復刊 ~ フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』

早川書房から『デューン 砂の惑星』が新訳を奢られて復刊された。


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まあ、ちょっとした事件ですよね。

翻訳は『ハイペリオン』の酒井昭伸先生。
さすが、あの難物をノンストップで読ませる実力派で、砂の惑星もお見事な仕上がりです。

砂の惑星、というと高校生くらいの頃映画化されて、スティングが出演していることばかりが話題になって、観てみたらなんじゃこれ?という、ある種トラウマ系の作品で、まあそれでもガイドブックなんかによれば歴史的な名作らしいから原作はどうなんだろうと、大学生の時に古本屋を漁って読んでみたが、やっぱりどこが面白いのかわからなかったわけです。

近年多くの名作が新しい翻訳を与えられて、新しい装丁を纏って書店に並んでいる。
そのどれもが、よく理解できなかった名作を身近にしてくれた。
今回の『デューン 砂の惑星』もその意味では成功していると言えるだろう。

それでもう一度デヴィッド・リンチ監督の映画版『デューン 砂の惑星』も観てみたのだが、こちらの印象は変わらない。当たり前か。
当のリンチ監督も同じように思っていたようで、DVDを見ると、何らかの理由で出来上がった作品に自分の名前を入れたくない時に付けられる「匿名」=アラン・スミシー名義になっていた。

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『デューン 砂の惑星』の物語世界は、まず人工知能の反乱で、人間が奴隷化され、それを再度人間が反攻制圧して、今度は機械文明を否定した精神世界を構築している、というところから始まる。
精神の力が現実世界への「力」の脅威になりうるこのような世界では、「宗教」が現実的な武力と不可分なものとなる。
そこに、キリスト教とイスラム教の相剋の構図を載せたのが『デューン 砂の惑星』の基本構造と言えるだろう。

最初に読んだあの頃、そういうことはまったくわからなかった。
世界の各地でイスラム原理主義のテロが起きている。
知人たちが世界中で働いていて、ニュースを見てハッとすることもある。

なぜそのようなことが起こるのか、出来事の連なりだけを読んでわかったような気になっても、こうした物語を読むと、どちらの側にも人間としての真っ当な心があり、正しいとか正しくないというような問題ではないということに想いが至らない。

物語にしか伝えられないことがある。
この時期に、この作品を復刊しようとした編集者にはきっとそれがわかっているのだろう。
出版社の役割の重要な部分だと思う。

であればこそ、「書き入れ時」を「掻きいれ時」と誤記するような凡庸なミス(中巻)を見逃さないで欲しいものではあるが。

2016年4月25日月曜日

念入りなニオイ消し ~ スペンサー・クイン『名犬チェットと探偵バーニー・シリーズ』

なにやら空前の猫ブームらしく、犬派の僕は意味もなく対抗してみたくなる。
それで、というわけでもないのだがスペンサー・クインの「名犬チェットと探偵バーニー」というシリーズが面白いのでご紹介してみる。

現在三作品が翻訳されていて、うち二作が文庫化されている。
ぜひ文庫版で読んでいただきたい。
表紙イラストが秀逸でずっと眺めていたくなる本だ。

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とにかくチェットがカワイイ。
ローレンス・ブロックの泥棒バーニーシリーズによく似た筆致で、おそらく名前の一致は偶然ではないだろう。

非トラディショナルなミステリの書き手が筆名を変えて書いているわけだが、その名がスペンサーというところから見ても、サスペンスものによくある偶発的解決を茶化して書くことが主題のひとつなんだと思う。

その「悪意」の匂い消しに犬という話者を使っているのだろう。
その企図は完全に成功していると思う。


また、ハードボイルドというジャンルは話者(=推理者)が心の声を語らない、というところに本質があると思っているのだが、このシリーズはそれを超えて話者が犬だから念入りだ。
ハードボイルド特有の最後物語のスピードが上がっていくのに、完全な情報が手に入らないまま読者が「焦れていく」感じがマキシマムになる。

そして、誰もが複雑な存在だと思いたがっている人間の本質が、実はとても身も蓋もないところにあるという、ちょっと直視しにくい現実を、心の声を語らないからこそ暴いてしまうハードボイルドという文学ジャンルにあって、犬が話者であることで救われている部分は大きい。
なかなかいいね。

2016年3月13日日曜日

クリント・イーストウッド監督作品「ヒアアフター」を観る

クリント・イーストウッド監督の「ヒアアフター」を観た。
「許されざる者」以降のイーストウッド映画にはいくつか、スッキリとわかりやく解釈することができない映画がある。これはその最右翼と言えるだろう。

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来世(=ヒアアフター)の存在を僕自身は信じていない。
が、だからといってこの映画の描こうとしている心象風景を否定する理由にはならない。
「死」そのものは厳然と存在する。

霊能力者のジョージ(マット・デイモン)は、触れた人間に関わりの深い死者とコミュニケートすることができる。
そしてそれゆえに、生者の世界とディス・コネクトしてしまう。

しかし、人は一人では生きていけないのだから、ディス・コネクトだってコネクトの結果でしかない。
ジョージのような特殊な能力が無くても、人は常にコミュニティとの断絶の可能性をリスクとして持っている。

双子の兄を喪った少年マーカスは、そのようなリスクが実際にその身に降りかかった者として描かれている。社会との接点をその兄ジェイソンに全面的に依存してきたため、彼の死によって社会から孤立してしまうのだ。
マーカスは、ジョージの能力によって、亡くなったジェイソンの最後の指示を聞くことができ、それによって社会に戻っていくことが出来た。
死者自身の言葉でしか、その死を受け入れられないこともあるということだろう。

ではジョージのディス・コネクトは誰が救うのか。
料理教室で知り合った女性に心惹かれるが、やはり能力によって知ってはならない過去を暴いてしまい、関係は破局する。
ラストで、ジョージを救うのが「臨死体験」を持つジャーナリストの女性、マリーである。
マリー自身も臨死体験に縛られ、それまでのキャリアから放逐されてしまっているから、ジョージとの出会いは彼女にとっても救いであったろう。

死にとらわれた者を、死にとらわれた者が救う。
しかしジョージのような能力を皆が持たないこの世界では、このような救いは容易に実現しない。
で、あれば誰かの死を受け入れるために僕らができることは、生者の「思い残し」を死者のせいにしない、ということしかないだろう。

2016年3月12日土曜日

日本という国の転換点を描いた「許されざる者」という傑作


クリント・イーストウッドの「許されざる者」を観て、映画を見る目が変わった。それ以降、昔観た映画を見なおす度に、えっこんな映画だっけ、と思うようになった。
そんな「許されざる者」が日本映画にリメイクされてしかも撮影場所が北海道と聞いて、DVD出たら観ようと思っていたのだが、ロードショー時あまりに評判が悪かったので、観ないままになっていた。
昨日、たまたま目についたので借りてみたのだが、ナニコレ面白いじゃん。

船戸与一の「満州国演義」も、戦争に向かっていく日本を描きながら、結局「明治維新とは何だったのか」というポイントに収束していく。乙川優三郎の「脊梁山脈」もそうだった。
日本版「許されざる者」リメイクにも、この視点が巧妙に脚本化されていて見事だ。イングリッシュ・ボブのくだりを翻案した北大路エピソードは、当時の長州と薩摩の摩擦を描いて、このような小さな、あまりにも人間的な内実が、後に軍部の暴走という大事に繋がっていく事実を読んだ後では、非常に強いリアリティを感じる。アイヌ差別の実態もフィクションならではの明快さで切り取っていて深く頷かされた。

また映像の美しさ、音楽の素晴らしさにも心を揺さぶられた。

イーストウッド版と比較することは無意味だろう。枠組みは同じでも描こうとしたものはまったく異なっている。
それはラストを観ればわかる。
日本版では、十兵衛は姿を消し、五郎(柳楽優弥)となつめ(忽那汐里)が新しい生き場所を見つける。対してイーストウッド版はマーニー(イーストウッド)の人生が意外にも成功者として続いていくのだ。
人間の心は善と悪のような二分法では語れない。ふたつながら抱え込んで、答えのないまま生きていくしかない。成功しても失敗してもそれは偶然でしかない、というイーストウッド版の人間観と、日本という国の歴史の転換点を、北海道という辺境に生きた人たちの小さいが確かな生を通して描こうという試みの違いだ。


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2015年11月29日日曜日

岡本喜八「ブルークリスマス」と庵野秀明「エヴァンゲリオン」、あるいは竹下景子の異次元の清純さについて

旧い友人たちと、思い出のある居酒屋で旧交を温めていた。
懐かしい話に花が咲く中、そういえば昔はみんなタバコ吸ってたよなあ、という話になった。喫煙者と非喫煙者の割合は完全に逆転していた。

映画が好きなその先輩は、昔の映画に喫煙シーンが多いことを説明しようとひとつの映画のタイトルを挙げた。
それが「ブルークリスマス」
喫煙シーンのことを例示したくて挙げたのに、内容の説明が面白すぎて本題を忘れてずっとその映画の見所を語っていた。
ストーリーももちろん面白そうだったが、主演女優が竹下景子さんであることが僕の心に刺さった。
エラリー・クイーン「災厄の街」の映画化「配達されない三通の手紙」に出演していた若き日の竹下景子さんの可愛らしさに心奪われていたからだ。
「配達されない三通の手紙」の竹下景子

僕がそう言うと、「絶対ブルークリスマスの竹下景子のほうが可愛い」と断言された。
これは観るしかないでしょう。

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ところがことはそう簡単ではなかった。近所のレンタル店には在庫がなく、頼りのディスカスでは豊富な在庫があるのになかなか単品リストに入らない。古い映画なのに人気があるのだと知って、先輩が名作と強調していたのがよくわかった。

で、やっと来ました。
再生を始めると、タイトル画面にサブタイトルが記されていた。
BLOOD TYPE:BLUE
ピンときた人も多いだろう。

エヴァンゲリオンで、使徒が現れた時「パターン青。使徒です!」と言う時、ディスプレイに表示されている文言である。
庵野秀明は、ブルークリスマスを撮った岡本喜八監督からの影響を常々公言している。
戦争を経験した表現者(戦中派)は、しばしば戦時中同じ人間であるはずの敵国の人々を鬼畜と呼んでまるで別の生き物であるかのように考えていたのが、戦後突然錯覚であったことに気付く不思議をテーマにしている。
「敵」と「味方」をわかつ根拠が、人間自身の心の弱さにあるというテーマは、エヴァンゲリオンとこのブルークリスマスに共通する主題であるといえるだろう。

ブルークリスマスは、UFOから照射された光線でヘモグロビンの中の鉄が銅に変化してしまい、ヘモシアニンになった血が青くなることで迫害を受ける人々の物語である。

ヒトとシト、赤い血と青い血は、それぞれの物語で最後に溶け合う。

その意味するところは、たぶんここで言葉にすべきでないものだろう。観るものの心に生まれる感慨そのものを大切に抱いていくしかない。
これはきっとそういう映画だ。

そんなことより竹下景子だ。

可愛いですね。これこそが清純派でしょう。清純さのレヴェルが現代とは異次元にある。
そしてこの可愛らしさを演出するのに岡本喜八監督が使ったこのシーン。





背の低い竹下景子が、勤めている理髪店のシャッターを閉めようとジャンプ一閃。
見事に閉めてクルッと振り返るとか。天才や、岡本喜八。
監督も素晴らしい演出と思ったかラスト近くでもう一回飛びます。
いいなあ。
死してなお美しい。
クイズダービーの三択の女王の姿しか知らなかった竹下景子さんの映画作品。
まだまだ開拓していきたいです。

映画内では、ビートルズをモデルにしたと思われるザ・ヒューマノイドというバンドが歌う「ブルークリスマス」という曲が頻繁に流れるが、この歌を実際に歌っているのがなんとCHARさんです。
やっぱりタバコくわえてますw


映画で使われているのがこちら。

日本語バージョンもありました。
発売されたシングルはこちらがA面で、英語版がB面に収録されていたそうです。
なぜか、日本語バージョンのほうがテンポが速い。なぜなんだろう。




2015年10月9日金曜日

合理の目は真実に近づかない~島田荘司「新しい十五匹のネズミのフライ」

島田荘司の新刊「新しい十五匹のネズミのフライ」は、シャーロック・ホームズ・パスティーシュの第二弾であった。

新しい十五匹のネズミのフライ: ジョン・H・ワトソンの冒険
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第一弾は「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」で、ホームズの作品世界になんとロンドン留学中の夏目漱石を語り手として投入するという異色作であった。

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この作品で印象的なのはホームズの女装についての見解だ。
聖典(ドイル作のホームズ作品群をこう呼びます)中では「マザリンの宝石」で老婆に女装して尾行した男に、正体を明かして驚かれるシーンがある。
しかし考えてみれば、長身で拳闘でも目覚ましい動きを見せるホームズの相貌で女装をすればこれは相当に目立つはずだ。
ワトソンではなく、夏目漱石を語り手とすることで、合理というフィルタを挟み込んだ結果、 ホームズの人物評も女装癖のあるコカイン中毒者、ということになる。


このように合理の目に晒してみれば、ホームズ譚には微妙なところがたくさんあるようで、「新しい十五匹のネズミのフライ」では、このあたりをワトソンによる作家的創作として処理している。
有名な「まだらの紐」では(未読の方は読み飛ばしてくださいね)、笛を合図に蛇をあやつって殺人が行われるが、蛇には耳がないのである。
本作では、「まだらの紐」は、コカイン中毒の治療中に見たホームズの悪夢を締め切りに追われた作家ワトソンの苦し紛れの創作として扱っている。
もはやSFファンタジーの域に達している科学的ナンセンス編「這う男」(本作中では「這う人」)も同様にワトソンによる純粋な創作としている。

これは、作中の語り手を作家にして、その架空の人物が書いた小説を今読者が読んでいるというホームズ譚の複層的なフィクションの構造を最大限に利用したパスティーシュと言えるだろう。
タイトルをわざわざ「ジョン・H・ワトソンの事件簿」にしているのも、複層構造に取り込まれ登場人物としての主体を喪失しているワトソン自身を描いていることを暗示しているのだ。

ホームズの作品世界を読み込んで、愛し抜いた筆者の最大の愛情表現なのだろうし、それは取りも直さず自身の御手洗シリーズの語り手石岡和巳に対する愛着なのだろう。
御手洗シリーズを熱心に支持する我々ファンの気持ちもまったく同じだと思う。

2015年9月29日火曜日

尖閣諸島は誰のものか、そして沖縄基地問題の根源はどこにあるのか~小説 琉球処分

だんだん世界が抜き差しならない状況に向かっているように感じる。
対症療法的な政治は、交渉相手の選択肢を奪い、結局どうしようもなくなって拳を振り上げさせるのではないか、という疑いが頭を離れない。

隣国の「挑発」に苛立って講じた「嫌がらせ」を「抑止力」と呼ぶ理屈は、はたして正鵠を射ているだろうか、などと考え始めればかえって、言葉を弄ぶことの虚しさばかりが募る。

未来、自分の子どもにどうしてこうなったの、と訊かれた時、何が答えられるだろうと考えたら、いてもたってもいられなくて、ここ数日目についた本を読み漁っていた。

その中に出てきた「琉球処分」という言葉がどうも気になって調べているうち、この本を見つけた。

小説 琉球処分(上) (講談社文庫)
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小説 琉球処分(下) (講談社文庫)
大城 立裕
講談社 (2010-08-12)
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芥川賞作家の大城立裕が、若い時に新聞に連載して途中で打ち切りになっていた作品だそうだ。
芥川賞を受賞した際、後半を書き足して出版された。

さほど売れず絶版となっていたが、菅直人首相が就任後の会見で、この本を読んで沖縄の歴史を理解しようとしている、と述べたことで中古市場が沸騰し、講談社が文庫化した、ということらしい。 読んでみると、そんな経緯は嘘じゃないのかと思えるほど面白い。



琉球処分を通じて、明治維新の実際を感じたような気がした。
そして教科書や新書などで知る明治維新と、それはずいぶん違う顔をしている。
やはり歴史は「人」が作っているのであって、どのような心持ち同士がぶつかり合ってそうなったのかを知ることは容易ではない、ということなのだろう。
政治的な立場の違いで起こる論争の中でよく聞かれる「もっと歴史を勉強しろよ」という言葉のなんと虚しいことか。
それが知り得ないものであるという謙虚さから先に進み、やがてお互いの意見を呑み込むことしかきっとできない。
読み終えた今は、そう思う。


この本を読むまで、沖縄の基地問題とは太平洋戦争の結果として生まれたものだと思い込んでいた。
書かれてあるとおり、明治政府の外交政策の犠牲となったことにそのルーツが求められるとすると、この問題の根源が足元にあったわけで実に根深い。
尖閣諸島も琉球王国に属するものだ。
明治以前、島津藩には相次ぐ増税に苦しめられ、柵封を続けていた明には貢物に倍する手土産を持たされて厚遇されてきた琉球の人たちが、それでも自分たちのルーツは日本にあるとの自覚を捨てずに生きてきた苦しみが、この問題を複雑にしている。
なにか慄然とする思いだ。



そして同じ過ちは今も繰り返されている。
松田処分官が遺した公文書としての「琉球処分」を作家大城が読み解いたことで、この本が書かれたあとの出来事の本質までも見通している。
これが小説というものの重要な役割だと思う。
せめて現代に生きる我々は、「文系大学処分」だけは阻止せねばなるまい。

2015年9月14日月曜日

ヒーローと立憲主義の「魂」~キャプテン・フューチャー第九巻「輝く星々のかなたへ!」

キャプテン・フューチャー・シリーズ第九巻に突入致しました。

「輝く星々のかなたへ!」では、水星で大気や水を人工的に生成してきた鉱物資源が枯渇して、住民がガニメデへの移住を迫られるという事態が発生する。

カーティスは、水星人が生まれ故郷を離れなくてすむように、遥か彼方、宇宙の中心にまで赴き、万物生成のメカニズムを解き明かしに行くというかつてない遠大な冒険の旅に出る。

太陽系内の悪者をほとんどやっつけてしまったフューチャーメンにもう敵はいない。
勧善懲悪型のストーリーが成立しなくなったため、科学冒険小説にトライ!というところでしょうか。

宇宙にあるあらゆる物質が生まれる宇宙の中心では、やはりそのメカニズムそのものを「特権」として相争う勢力が存在した。
難しいのはどちらに味方するかということで、まるっきり地縁のないカーティスにとっては、結果的にはどちらに加勢しても勝てばいいわけなのだが、物語の性質上、そういうわけにもいかない。

一方は科学技術至上主義で、使えるものはなんでも使って富を生み出そうという考え方。
もう一方は、手に余る技術は人を不幸にする、という考え方。
で、まあ、利己的でない後者の方をカーティスは選ぶわけですが、やっぱり後者の陣営に美人のお姫様がいるんですね。
たまたま思想の合う側に美女がいたのか、美女がいたから味方したのか。
けっこう怪しい展開なんですが、 まあ、こういうのは詮索しないほうがいいですね。

で、勝利したカーティスは、この人ならば私利のためでなく、社会のために正しく使ってくれるだろうという信任を得て、そのメカニズムを借り受けるわけです。
カーティスが超人&イケメンだからこそ得られた信任なんですね。

現実の世界にはこのような超人は実在せず、しかし誰かにリーダーシップをあずけなければならない。
普通に考えれば、こんな人任せのシステムは続かない。
だから「法」というものがある。
長い時間が組み上げた「立憲主義」という仕組みがある。
行き過ぎれば、自由を奪い、緩めれば権力に目がくらんだ人の暴走がはじまる。
みっともない事この上ない仕組みだけど、まだこれ以上のシステムは生まれていない。

こんな時代だからこそ、荒唐無稽な正義のヒーローの活躍を、立憲主義の「魂」として読んでおくっていうのもいいと思うんですよ。
いや、けっこうマジでそう思ってます。


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2015年8月18日火曜日

フューチャーメンのタイムトラベル~キャプテン・フューチャー第八巻「時のロストワールド」

いよいよ第八巻「時のロストワールド」である。
なにがいよいよかと言うと、タイムトラベルものがついにキャプテン・フューチャー・シリーズに登場なのである。

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前巻で、最大の敵ウル・クォルンを斃してしまい、太陽系に完全な平和をもたらしてしまったキャプテン・フューチャー。こともあろうにその平和に退屈している。
そこに、遙か一億年の過去から救助を求める声が!
そして喜色満面にフューチャーメンは過去への冒険に旅立つというわけです。

世にタイムトラベルSFはその黎明期から数多く発表されています。

最も代表的なものはもちろん、ウェルズの「タイムマシン」でしょう。
主人公の科学者「タイムトラヴェラー」は、
一次元は点、二次元は線、三次元は空間。
しかし物体が存在し続けている限り、精確な事物の特定には「時間」を変数として考えることが必要になる。つまり時間は4つ目の次元であり、だから我々はその中を移動することができると、強弁した上に、普通では移動できない次元の中を移動可能にする技術的背景に関しては特に説明しないまま、実際に移動するためのマシンを作ってしまいました。

その他のSF作品も大同小異ですが、さすがハミルトンはひと味違います。
時間の流れは原子の中の電子の軌道速度が作っているから、これを速めれば未来に行けるし、逆回転すれば過去に行けるという科学的背景を「創造」してしまいました。
無茶苦茶ですが、SF作品としては不思議な説得力があります。堅固な虚構の科学です。

ある時期までのタイムトラベルSFは、わりと自由にオリジナリティのある時間旅行の方法を考えてきたのですが、アインシュタインが光速で飛ぶと時間が遅くなるなんてことを言い出したもので、多くのSFが相対性理論をベースによりリアリティのあるSF作品を作るようになっていきますが、そんなある日、本当に自分はタイムトラヴェラーである、と宣言する男まで現れました。
ご存知ジョン・タイター(詳しくはリンク先のwikiを)です。

このジョン・タイター騒動を素材として取り込んだのがゲーム作品シュタインズ・ゲートで、アニメ化もされたこの作品が最も手っ取り早く、今人類が実際に取り組んでいる、実現可能性のゼロでないタイムトラベルの全体像にアクセスできる経路だと思います。

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またタイムトラベルはラブロマンスと相性がいいというのが定説ですが、本作ではオットーまでが一億年前の地球娘と恋に落ちちゃうんですから、間違いないです。
カーティスについても、物語進行の都合上ジョオン・ランドールは今回お休みですが、その代わり依頼主のお嬢さんといい感じになってました。
一億年前の太陽系に恋に落ちる対象の人類がいる、というところにもずいぶん前の巻から科学的伏線を施してあってここがまた物語の盛り上がりどころになってます。


本当に盛り上がりどころ満載の本作のテーマは、滅亡に瀕した科学の星「カタイン」が、生き残るために火星を滅ぼして移住するか、コールドスリープで遠い別の惑星を目指すかという政治闘争になってます。
近年では「翠星のガルガンティア」で虚淵玄が採用した基本構造ですね。いつか人類もこのようなことを考える日が来るのでしょうか。


2015年8月15日土曜日

歴史ミステリの新しい傑作~ポール・アダム「ヴァイオリン職人の探求と推理」

1999年のクリスマスはクレモナで過ごした。


この「ヴァイオリン職人の探求と推理」には、その時の記憶を呼び覚ます精緻な描写が溢れている。
見事な筆力だ。

バイオリンの裏面史も実にイキイキと書かれていて引き込まれる。
ただ殺人事件についてのプロットには不十分なところがあると思う。事件自体の複雑さや意外さに不足はないが、探偵の作法には習 熟していないようだ。

素人探偵だから、ということを言っているのではない。
犯人を思いつきで追い詰めることは、どうせ物語なんだからなんだって作者の思い通りになるもんねと、作品から読者を閉めだしてしまうことになる。
読者との共同作業でなくてはならない。
そのための伏線なのだ。

それでもこの本の読後感の幸せは一級品のそれだ。
舞台が大好きなクレモナだったから、ということだけではないと思う。


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2015年6月28日日曜日

映画「ハンナ・アーレント」〜我々の日常に棲む悪の凡庸

映画「ハンナ・アーレント」をやっと観た。

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観終わって胸を刺すのは、現代社会に生きる我々は、程度の差はあっても皆が凡庸なアイヒマンなのではないかという疑問だ。

会社に所属して仕事をしたことのある人間ならば誰でも、「それが仕事だから」というだけで、特に良心に問いかけたりせずに上司からの命令に従って日々を送った経験があるはずだ。

殺人犯が書かれた本は、それを禁じる法律が無いという理由で出版され、ベストセラーになるし、 キッチンでは、表示された消費期限が来ていなければ、食べられるものと判断するだろう。

科学は進歩し、社会は高度化したが、かえって我々の思考は停止している時間の方が長くなったのではないか。
世の中にはとうてい見きれない程のチャンネル数を備えたテレビシステムがあり、インターネットには日々膨大なコンテンツが流通している。
ネットに集積した口コミを眺めていれは、明日何を食べようか考える必要はない。自分に相応しくない店に足を踏み入れてお店に冷たくあしらわれたら、ネガティブな書き込みをして復讐だってできる。
何か答えが知りたければGoogle先生が、Wikipedia先生が、そして池上彰先生までもが、ハイデガー先生のかわりに教えてくれる。考える必要はない。信じればいい。

ハンナ・アーレントが、アイヒマン裁判を通して警告した現代の新しい悪である「凡庸さ」は、それが人間の深い部分に根ざした心性の悪でないゆえに、簡単に蝕み、簡単に拡散していく。
このことは広く理解されないまま、事実現代の病理として今我々の日常の中に静かに存在しているのではないか。
だとしたら今度人類が起こす悲劇は、アイヒマンを絞首刑にして終わるようなものではないのかもしれない。

映画のラスト8分のスピーチにあった「考える事で人間は強くなる」という言葉を信じたい。John LennonがImagineで歌ったのもきっとこのことだったんだと今は思う。

2015年5月19日火曜日

科学と野心の狭間で~キャプテン・フューチャー第七巻「透明惑星危機一髪!」

キャプテン・フューチャー第七巻は「透明惑星危機一髪!」
宿敵ウル・クォルンが、ヌララとともに刑務所を脱獄してきます。
今までカーティスが捕まえてきたおなじみの悪役さんたちも一緒に引き連れての脱獄劇は、今なら劇場版の企画にぴったりな総集編的シナリオになっています。

ハミルトンのスペースオペラにはよく荒唐無稽という形容詞がつきますが、カーティスの活躍の裏で、科学の魅力に取り憑かれ、どうしようもなく悲劇的な運命をたどってしまう科学者の物語も描かれているのです。

異次元の世界にあるという秘宝を求めて、次元の壁を超える宇宙船を開発し、そこで出会った悲運の星の人たちに心を寄せ、そこで暮らす老科学者。
そして、科学の力で太陽系の支配者たらんとするウル・クォルン。
どちらも科学に魅せられ、野心に駆られ、そして悲劇的な末路に誘い込まれていきます。

それまでできなかったことを可能にする科学の力は、隣人を幸せにもするが、力の非対称の魅力にはやはり抗いがたいものがある。
僕らはどのような知見を以って科学と共存していくべきなのか。
おそらく答えの出ないこの問いを、ハミルトンは大衆SFを書くことで発信しつづけていたのでしょう。

ラストで自ら死を選んだウル・クォルンですが、マンリー・ウェイド・ウェルマンが書いた最終巻「小惑星要塞を粉砕せよ!」と翻訳者野田昌宏さんの書かれた「風前の灯!冥王星ドーム都市」でも登場します。
やはりクォルンとヌララのカップルはシリーズ随一の人気悪役キャラなのですね。

ところで本作でもジョオン・ランドールのツンデレ指数はまた少し上がってきています。
野田総帥の名訳は文化遺産として残すべきとしても、近年のライトノベル作家による正調ツンデレによるジョオンも見てみたいものです。新訳か、新解釈のアニメ化などの企画はないものでしょうか。
いいと思うんだけどなあ。

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2015年4月24日金曜日

条文万能主義という思考停止、あるいはヒーローを希求するということ〜キャプテン・フューチャー第六巻「謎の宇宙船強奪団」

NHKのデレビアニメ版ではスペシャル扱いだった本編は、実に映像的な作品だ。
手に汗握る展開の宇宙レースやストップモーションの世界を泳ぐように繰り広げられる逮捕劇など、頭のなかにはっきりした映像が浮かぶ。
またアニメ版ですっかり有名になった「おいらは淋しいスペースマン」という名挿入歌もこの物語でグラッグが歌うものだ。


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さて、前作「太陽系七つの秘宝」で、非常に魅力的な敵性女性キャラクターであるヌララが登場したことを受けてか、本作ではジョオン・ランドールの積極性が格段に前面化しており、すぐ敵に拉致され救出される守られるヒロインとしての立場から、熱心な追っかけにジョブチェンジしている。相変わらず事件解決への貢献度は低いものの存在感は増している。

物語は、水星の新造宇宙船のテスト場から飛行テスト中の宇宙船が忽然と姿を消す事件が多発するところから始まる。
今までの作品が「宇宙の危機」を扱っていることを考えると、私企業の倒産の危機を救う本編のスケールは小さい。しかし現代の我が国の改悪され続けていく税制や労働関連法規が大企業の経営者の意思の反映であることを考えれば実にリアルだ。

リアルといえば、宇宙船建造会社の経営者が作ったカジノ小惑星にはいろいろ考えさせられる。太陽の周りを回るすべての天体に適用されると規定された太陽系憲章を出し抜くために、強力なジェット噴射で公転を止めた小惑星を作ればいいというロジックはバカバカしくも見えるが、実際法の抜け穴を突くというのは万事こういうバカバカしさを内在しているものだ。

条文万能主義はある種の思考停止だが、権力の魅力に腐敗しがちな人の王のかわりに法という名の人造の王を戴いた近代社会の限界がここにある。

これを超法規的に乗り越えていくキャプテン・フューチャーのような存在を物語に求める気持ちの源泉も、人間の社会が硬直化していく中でいや増していく、正直に生きていることで損をしているような気分の中にあるのではないか。


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2015年4月18日土曜日

SFのリアリティを損なうものと、翻訳文体の問題~「レッド・ライジング」

新人作家ながら草稿で映画化までの契約を勝ち取ったというピアース・ブラウンの「レッド・ライジング」はそのエピソードに違わぬ魅力を持った作品だった。

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これほど物語世界に没入できた小説に出会ったのは、おそらく「ミレニアム」以来だと思う。

ラスト100ページくらい、文字通りの「息もつかせぬ」展開で本当にちょっと酸欠気味になった。
最終ページまでまったくスピードが緩まないので、読了後に大きく深呼吸したくらい。

戦闘のスペクタクルと心の葛藤を同じスピードで書けるこの作家が新人だとはにわかには信じられない。
しかし完璧というわけでもない。
「歴史上の人物の発言を引用すると必ずリアリティが損なわれる」ので、そこをどう処理するかというSF特有の流儀に無頓着なところがあったりもする。
SFはこの現実世界の延長を描いたものであっても、かならずそれ以降の大きな社会変化を前提として持っている文学形態である。
言語は社会に強い影響を受け、大きく変化するものだ。
その変化に晒された者たちが、僕らの知っている昔話を同じ意味合いで使うという事態には強い違和感を感じる。
その感覚を持つSF作家は実にたくみに神話や故事を引用するのである。
たとえばダン・シモンズのように。

そういえば、士官養成学校で寮同士の争いが描かれるので、エンダーのゲームとかハリー・ポッターの類似性が指摘されているが、このレッド・ライジングという小説のストーリーテリングのイメージは圧倒的にダン・シモンズの「イリアム」「オリュンポス」に近い。

骨太なのである。
それだけに、翻訳がなぜか現在形主体の特殊な文体を採用しているのが気になる。
村上春樹がアフターダークと多崎つくるで使ったあれだ。

この文体が生む「帰属感の希薄さ」や「浮遊感」は本当にこの物語に必要だったか。
語尾のバリエーションが極端に制限されるデメリットばかりが目についた。

2015年4月11日土曜日

この作品が「ルパン三世」というズバリのタイトルでいいのだろうか

実写版「ルパン三世」を観ました。
しかしこのタイトルは何なんだろう。
映像作品だけでもオリジナル3シリーズにたくさんの劇場版、TVスペシャル、優れたスピンオフが複数あるのに、ズバリ「ルパン三世」とは。
これが決定版であるとでも言うつもりか。

小栗旬のルパン三世については、特に申し上げることはない。
メインキャストの中では玉山鉄二の次元大介が一番カッコよかったかな。
綾野剛は、いつも通りで、まあ何を演じても何かを演じている綾野剛のままだった。

黒木メイサの峰不二子は、予想以上に健闘したと言っていいと思う。
だいたい、森雪と峰不二子というキャラクターは、現実に置き換えないからこそ成立するアイコンとして設計されている。
そういう役に抜擢されているという事実が彼女の女優としての評価なのだろう。

映画全体を通じて古臭いイメージを感じるのは、たとえば兵士が爆弾にふっとばされているシーンでの体の動きがありのまますぎる、というような不作為のせいだ。
マンガやアニメに見られるようなデフォルメされた動きを作りこむことで、ホンモノでないからこそ感じられるリアルが標準になった今、どうしてもこの映画の動きはやっつけ仕事に見えてしまう。
CGで何でも出来てしまう今、リアルの定義は明らかに変わりつつあるのだ。


不幸な条件もあった。
「峰不二子という女」という先行スピンオフがあまりにも良く出来ていたため、峰不二子の過去を改変する、というこの映画の(唯一の)シナリオ上のフックが無効になっている。
またこの「峰不二子という女」という作品、ジャズがホンモノだった。
菊地成孔が作り出した、ルパンのジャズ。

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それにひきかえ、小栗版ルパンのジャズが中途半端なことといったら!
それっぽいシーンに挿入されただけでは、いくらフレーズがジャズっぽくても、それはジャズっぽい音楽であるというだけだ。
全体を通底するテーマが流れていなければ。
その意味では布袋寅泰のテーマ曲も有効に機能していなかった。

この映画をプロデュースした人間からは、ルパン三世という長い歴史を持つ作品に対する敬意のようなものも感じられないが、もっと基本的なところで作品作りというものを甘く考えているのではないか、という気がしてならない。


よかったところもある。
映画でメイサ不二子の乗ってるバイクがハーレーじゃなくてYAMAHAのVMAXだったことと、ルパンのフィアットが古いチンクエチェントじゃなくて、新しいチンクだったこと。


ちょうどいいんだよ、そのくらいが。
カタチだけ真似ても仕方ないんだ。

あと、最後に銭形が追っかけるシーンで古い国産車が使われてるんだけど、その中に初代のチェイサーがあって、それもよかった。


だってベタでしょう。チェイサーで追っかけるなんてさ。
そのくらい自虐的にふざけてくれないと、ちょっとやりきれないよ。この映画。

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