それまで住んでいた札幌も適度に都会で非常に住みやすい街だった(だから今、帰ってきて終の棲家をここに作ったのだ)が、年若く、文学や音楽に心動かされることが多かった僕には、その東京の環境は、まるで文化のすべてがそこにあるように感じられて、もう熱に浮かされたように、休日になると神保町や渋谷や秋葉原を歩きまわった。
その頃、書店にいつも平積みになっている分厚い「ハイペリオン」という新刊のSF小説が気になっていた。
なにしろ表紙が、生頼範義氏のものだ。少年時代を平井和正の幻魔大戦角川文庫版と親密に過ごした身としては、生頼氏の表紙絵であるというだけで、それは特別な薫りがした。
それに「ハイペリオン」という名前!
神話的で、不思議な響き。
意味もわからないまま、ずっとその名前だけが頭の中の一部を占めていた。
ただ、その本は新人社会人の貧弱な住環境にはちょっと厚すぎたし、その頃の僕はSFやミステリの古典的な作品を取り敢えずひと通りおさえておかなくっちゃ、という強迫観念にかられていたので、その新刊を購入するには至らなかった。
だから何年かたって、「ハイペリオンの没落」が、またあの厚い装丁で生頼氏の絵をまとって書店に平積みになっているのを見たときは動揺した。
続編が出たのか!
一冊でさえ買うのをためらうボリュームに続編とは。
この時も余裕ができたら買おうと、書店を後にしたが、そのまた数年後に「エンディミオン」、さらに「エンディミオンの覚醒」と、あの独特の薫りを発散しながら書店の店頭に1989年から1997年の間、定期的に出現しては、平台に鎮座まします大巨編たちを僕は呆然と見つめることになったのだ。
結局このハイペリオン・サーガ四部作は、2000年から2002年にかけて8冊の文庫版として刊行された。
で、やっとこのSF小説の、いやエンタテインメント小説のすべてをぶち込んだような長大な物語のすべてを僕は購入し、没入し、耽溺した。
時は28世紀。
人類は「転移ゲート」というテクノロジーで、宇宙に進出していた。
舞台は辺境の惑星ハイペリオン。
そこには時を超越する殺戮者「シュライク」を厳重に封じ込めた謎の古代遺跡「時間の墓標」があり、あろうことか、それが開き始めるのが観測される。
いったい何が起きているのか。
おりしも宇宙の蛮族「アウスター」が、ハイペリオンに侵攻を開始。
「時間の墓標」の謎を解くため、連邦は、ハイペリオンに因縁浅からぬ7人の「巡礼」を送り込む、というお話。
第一部の「ハイペリオン」は、全体の導入部で、7人の巡礼がひとりずつ、巡礼行に参加するにいたった経緯を語る。なんと文庫上下巻の第一部は、この打ち明け話で終わってしまい、本当に驚いた。
それぞれの巡礼の話は、詩情あふれるものもあれば、完全なハードボイルドもある。
宗教や戦争をテーマにした話もある。
そして、それぞれに相応しい異なる文体で語られていく。
確かに非常に魅力的な「連作短編集」だが、ストーリイは動いていないも同然なのだ。
よし、ほな「墓標いきまっか」というところでブチッと終わる。
まじか。
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それが第二部「ハイペリオンの没落」になると、突然息もつかせぬ大スペクタクルになって、これでもかこれでもか、と近代ハードSFのガジェットや、SFのエポックを作ってきたアイディアが惜しみなく投入されて、あああああ、と思っているうちに物語は大きなカタストロフを迎え、そしてひとつの文明が終焉する。終焉して終わり。
カタストロフィのみ。カタルシスなし。
おいおい。
どうなるのこれ。
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そして第三部「エンディミオン」の物語は、その300年後のハイペリオンから始まる。
ああ、そゆことね。そうだよね。
ここから本題なんだね。うん。
青年ロール・エンディミオンは、年老いた詩人から、宇宙を救う「救世主」を守るよう依頼される。まもなく「時間の墓標」から現れるというその救世主は、なんとまだ12歳の少女、アイネイアー。
なにがなんだかわからないまま、一体のアンドロイドを従えて宇宙船に乗り、苦難の旅に乗り出すエンディミオン。
一方、連邦にかわり人類社会を支配するカトリック教会組織「パクス」は、アイネイアーの命を狙って執拗な追跡をしかけてくる。
例によって、舞台設定だけで一部まるっと使ってるけど、ここまで読んだ人はもう完全にこのペースに慣れてて、本作の本当に魅力的なキャラクターたちに心を寄せながら、真の試練への旅にともに旅立つ準備を完了する、これはそういう物語なんだな。
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そしてラストの第四部「エンディミオンの覚醒」の開幕だ。
しだいに救世主としての本質をあらわし宇宙を駆け巡るアイネイアーの旅に歩調を併せ、急速にすべての伏線は回収されはじめる。
第一部、第二部の登場人物も、意外なカタチで再登場する。
彼らは、人類の未来をかけて、「パクス」との最後の戦いに臨む。
そして・・・
このラストシーンは、いったいどういう言葉で形容すればいいのだろう。
ハッピーエンドというのは、人の「望ましさ」に働きかけて心を動かす。
だとすると、これは違う。
どうしても動かしがたい運命を知ることは、本当はすべての希望を喪うことではないのか。
それでもこのラストシーンほど、「希望」というものの冷たい力強さを心に消えない傷跡のように残していく物語を僕は知らない。
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それにしても印象的な「ハイペリオン」の名は、ゼウス以前の太陽神の名だ。
ヒュペリオーンの名のほうが一般的ではないだろうか。
と、ここまで来て「あれ、どこかで・・」と思ったジャンプ愛読者の諸君。
そうです。
あのSKET DANCEにたびたび登場する、素っ頓狂な想像上のスポーツ「ヒュペリオン」の元ネタですね。
くだらないのに、いつのまにか猛烈な熱狂の中にプレーヤーを巻き込むこのスポーツにちなんで、「ハマる」ことを、この漫画内では「ヒュペる」「ヒュペったあー」などと形容する。
まさにこの小説のことではないか。
スケダン作者の篠原健太氏もハイペリオン・サーガに「ヒュペった」ひとりに違いないと僕はにらんでいる。
さてこのヒュペリオンを固有的にハイペリオンと表記するケースがあって、それが英国の詩人ジョン・キーツの詩「ハイペリオン」と「ハイペリオンの没落」だ。
そのまんまだったんですね。
これは、古いギリシャの神話にあるタイタン族とハイペリオンの没落、そしてアポロの勝利を歌ったものである。
さらに七巡礼の一人、女探偵レイミアも、キーツの詩集「レイミア」(1819)に由来していて、このベースになっている神話が「異類婚姻譚」なわけで、このサーガ自体が、キーツの創作世界を背骨にして構成されているという見方もできるだろう。
ハイペリオン・サーガにはジョン・キーツご自身も登場しているが、決してその名声に見合った敬意を払われているとは言えない。
それには理由があるのだ。
詩集「レイミア」には、アイザック・ニュートンのプリズムによるスペクトル発見に代表される科学、哲学の発展が文学の詩情を破壊した、と激しく非難する内容がある。(wikipediaより)
リチャード・ドーキンスは、詩の中の一節"Unweave a rainbow"(「(学問が)虹をばらばらにする」=虹の解体)を自著の題名に採って、キーツに代表される文学者の科学に対する否定的見解に強く反駁する。
科学の発展こそが、宇宙に対する"センス・オブ・ワンダー"(驚嘆する精神)を生み、それこそが詩情の源泉となる、と。
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ダン・シモンズは、ドーキンス氏に先んじて、このレイミアにSF作家として同様の、いやそれ以上の憤りを感じ、ハイペリオン・サーガにジョン・キーツの創作世界を奪胎することで、ドーキンス氏のこの卓見を、実際の著作において存分に、そして彼らしい皮肉な方法で証明したかったのではないか。
だとすると、それは間違いなく成功している。
ここに描かれているのは「宇宙」そのものだ。
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