2013年5月5日日曜日

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」Review Part-2

第一作の「風の歌を聴け」以来、村上春樹は、その文体を、基本的にアフォリズム(警句)を基礎に組み立ててきた。
だから時に揶揄されることもある「やれやれ」が多用されることになる。

しかし、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」には、「やれやれ」という言葉の多用は見当たらない。

その代わりにちょっと突き放したような現在形での描写が多用される。
近年の村上作品の多くは三人称で書かれているが、アフォリズムの立場で書く以上、批判者の視点が必ず混じるため、基本的には登場人物たちと同じ地平に立って書かざるを得ず、それまでの一人称的な手触りを残したままだ。だからそれはヘミングウェイというよりはチャンドラーの書法になる。


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しかし、この作品では一人称的な手触りは実に希薄で、どこかよそよそしくて、時々どこまでも遠くまで見通せる望遠鏡で覗き見たような書きぶりが現れることがある。
それも単に突き放しているのではなく、ホールデン少年を描くときのサリンジャーのような、遠さ故のもどかしさのようなものを感じるのだ。

この書法は、アフターダークでも観察者の視点として用いられているが、内実はずいぶん違うと思う。これは「父の視点」だと思うからだ。

灰田父の青年時代、全共闘で活動して挫折したとの表記がある。これはぴたりとではないにせよ、村上春樹の早稲田大学時代の経験と重なる部分がある。主人公たちはその息子の世代として書かれており、いつもより遠目の第三者視点は、このあたりの立ち位置に由来しているのではないだろうか。

初期の村上作品には「世代」の存在が希薄だ。
それが「ねじまき鳥」あたりから、「歴史」という縦糸を積極的に物語の中に織り込んでいくことになる。
これは、村上が海外で執筆を始めて、西洋と日本の「個」に対する考え方があまりに違うことに戸惑い、そしてノモンハンまでやるのに、その後連続した戦後観を持ち続けられない日本人の感覚の不思議さを問題意識として持ったからだと、「村上春樹、河合隼雄に会いに行く(新潮社文庫,P56)」に詳しく書かれている。

その感覚は「カフカ」にも書き継がれるが、アフターダークで一度リセットされる。
そして1Q84において、父の存在を物語の一部として強く機能させることで、獏とした歴史という糸を、父子というはっきりした形を持った個人的な歴史の連なりにメタファーし直したのではないかと思う。
そうして問題意識の意味の再生を図っているように僕には思えるのだ。

そして今作でついに、「父の視点」(多崎の、とか灰田の、といった意味ではない)で書くというストレートな書法を持ち込んで、人にとっての縦糸を描こうとしたのではないだろうか。

通常「父性」といった場合、それは組織的な権勢を象徴し、理論的で垂直型の思考や統制を象徴する。
だからそれは、カタチがあり、言語オリエンテッドだ。
つまりそれは「引き継げるもの」なのであり、そこが水平型で包括的で愛情に彩られている「母性」との大きな違いだ。

本作で、その引き継がれるものは、緑川の言うワグナーの指環として、または多崎のホイヤーとして言及される。
さらに、その引き継ぐものは「いずれにせよ死を迎えるときに丸ごと理解するもの」なのであり、引き継ぐといっても「その種子を蒔くだけ」なのだ、と言っている。
しかしこれはあくまでも「父の世代」の話なのであり、この話を継承したはずの灰田はそうそうに物語から退場してしまう。

「父の世代」に属する作者村上春樹自身が経験した学生紛争は、強力なコミットメントが一瞬にして「熱くなる方がバカ」みたいなムード(=デタッチメント)に変化していったと自身が回顧している。
そのデタッチメントを是とするようになった当時の若者たちが成長して、今度は自身が父になった時、今までとは違った「父性」を獲得したはずだ。
それはどのようなものだったのか。

物語では、灰田の退場の後を受けて、理想的な父親であり夫であるエドヴァルト・ハアタイネン氏が登場する。エドヴァルトとは、ホイヤーのドイツ系スイス人創業者と同じ名前だが、Part-1でも書いたようにこの作品では「命名」は意識的だ。
自然、エドヴァルトの存在は、肺がんでの死の床で、もう何も話すことはできず、ただホイヤーの時計と大きな財産だけを残したつくるの父親と対比される。

裸一貫で起業し(ここには若きアントレプレナーとして批判されながらも成功を収めるアカとの対比構造がある)、経済的成功を収め、一日50本の煙草とともにその人生を驀進し、肺がんのために言葉を失い、時計を残して死んでいったつくるの父親。
緑豊かなフィンランドの別荘地で半日を陶芸家として、半日を家庭人として、時に自分の技術を大学で教えながらシンプルに生きていくハアタイネン氏の生き方とはもちろん対称的だが、どちらがよいという話ではない。

今我々が生きているこの国が、そうやって形作られてきたのだということが、意味合いとして継承されているだろうか、と問われている気がするのだ。
豊かになった我々は、父たちががむしゃらに頑張って働いてきた日々を、社会の変革に当事者として立ち会ってきた日々を、「なかったこと」にしてはいないだろうか。
不都合なことは「捏造」だと言い、すべてを為政者たちの「無能」のせいだったと押し付けてはいないだろうか。

つくるが友人グループからつきつけられた「絶交」は、彼に大きな喪失をもたらし、それは過去をめぐる旅によって浄化された。
再生ではない。再生はできない。
だからこれはやはり「巡礼」でなくてはならなかったのだ。

この国に住む僕らは、いったい何を「なかったこと」にしようとしているのか。
ぼくらの巡礼の旅は、どこを目指せばいいのか。
まずはそこから考え始めてみたいと思う。

<了>

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