2015年4月18日土曜日

SFのリアリティを損なうものと、翻訳文体の問題~「レッド・ライジング」

新人作家ながら草稿で映画化までの契約を勝ち取ったというピアース・ブラウンの「レッド・ライジング」はそのエピソードに違わぬ魅力を持った作品だった。

レッド・ライジング―火星の簒奪者 (ハヤカワ文庫 SF フ 21-1) (ハヤカワ文庫SF)
ピアース ブラウン
早川書房
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これほど物語世界に没入できた小説に出会ったのは、おそらく「ミレニアム」以来だと思う。

ラスト100ページくらい、文字通りの「息もつかせぬ」展開で本当にちょっと酸欠気味になった。
最終ページまでまったくスピードが緩まないので、読了後に大きく深呼吸したくらい。

戦闘のスペクタクルと心の葛藤を同じスピードで書けるこの作家が新人だとはにわかには信じられない。
しかし完璧というわけでもない。
「歴史上の人物の発言を引用すると必ずリアリティが損なわれる」ので、そこをどう処理するかというSF特有の流儀に無頓着なところがあったりもする。
SFはこの現実世界の延長を描いたものであっても、かならずそれ以降の大きな社会変化を前提として持っている文学形態である。
言語は社会に強い影響を受け、大きく変化するものだ。
その変化に晒された者たちが、僕らの知っている昔話を同じ意味合いで使うという事態には強い違和感を感じる。
その感覚を持つSF作家は実にたくみに神話や故事を引用するのである。
たとえばダン・シモンズのように。

そういえば、士官養成学校で寮同士の争いが描かれるので、エンダーのゲームとかハリー・ポッターの類似性が指摘されているが、このレッド・ライジングという小説のストーリーテリングのイメージは圧倒的にダン・シモンズの「イリアム」「オリュンポス」に近い。

骨太なのである。
それだけに、翻訳がなぜか現在形主体の特殊な文体を採用しているのが気になる。
村上春樹がアフターダークと多崎つくるで使ったあれだ。

この文体が生む「帰属感の希薄さ」や「浮遊感」は本当にこの物語に必要だったか。
語尾のバリエーションが極端に制限されるデメリットばかりが目についた。

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