中でも綾辻行人の「十角館の殺人」はその衝撃度において群を抜いていたと思う。
綾辻 行人
講談社
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そこから遡って、海外の有名ミステリもいくつか読んでみた。
島田荘司先生が、一番好きなミステリはと問われれば若干の気恥ずかしさを感じながらも「Yの悲劇」と答えるだろう、とニュアンスに富んだ表現で賞賛したエラリー・クイーンも。
綾辻行人氏もエラリー・クイーンに心酔していると聞いた時には、とても意外に感じた。
緻密な消去法で推理を積み上げて「思考」を読ませるエラリー・クイーンと、作品全体の構成力で最終行の驚きを演出する綾辻作品では、その読み味がずいぶん違っていたからだ。
東京創元社のミステリ長編の公募型新人賞である鮎川哲也賞を受賞した青崎有吾さんについた通名は「平成のエラリー・クイーン」しかもタイトルは「体育館の殺人」
面白いじゃないか。
エラリー・クイーンに心酔しながらエラリー風でなく、エラリー風でないのに館ものの「十角館の殺人」 をある意味茶化してるのでは、とさえ思えるタイトルで平成のエラリー・クイーンが世に出てくるという。
これ読んでみないわけにはいかないよね。
読んでみると、謎解きの作法はまさにエラリー・クイーンだった。
伏線をそうと知られぬように張り巡らすには、相応の技術が要る。
熟練の読者には、伏線の部分にわざわざ書いているという違和感を感じて判別できるという。
最終章の怒涛の謎解き部分では、記述されていたほぼすべての客観的描写が伏線であったということが判明し、なるほど違和感を感じないはずだと感心してしまった。
これなら時代おくれの「読者への挑戦状」を挟みたくなっても無理はない。
平成のエラリー・クイーンの名に恥じない「謎」の構築力に加え、物語としても脱力と緊迫の抑揚を持っていて、「挑戦状」に応じるための再読に堪える作品と思う。
これは書くべきではないことかも知れないが、十角館の殺人という作品は驚愕のラスト一行に向かってすべての記述が収斂していく作品である。
それを踏まえて、本作品の最後の一行を心して噛み締めて欲しい。
この痛烈な皮肉は、筆者のどのような意識を反映したものか。
実に味わい深い。
しかしだからこそ残念に思うところもある。
この作品は10年の再読に堪えるものには成り得ない宿命的な欠点があるのだ。
それは探偵がアニオタで、それは別にいいのだが、古典化しないことが確定的なヲタネタが要所要所に差し挟まれていることだ。
「あえてそっち」的なニュアンスを醸し出し、探偵の個性を際立たせ、最終章での印象の逆転に寄与するこの仕掛けが時代とともに古びていくものであるのは作品に無用な「賞味期限」を設けるもので、同じ作品を何度も読む性向がある僕にはなんとも残念だ。
僕はこの作品を文庫化のタイミングで読んでいるから3年ほどのタイムラグがあるが、この程度でもかなり古びている。
古典化したか否かで断絶的な差が出てしまうサブカルチャーの賞味期限が、この物語のアキレス腱だ。ご賞味はお早めに。
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