2014年6月18日水曜日

映画「ヘアスプレー」に見透かされた僕の偏見。あるいは髭と茶髪とタトゥーのこと。

サッカー・ワールドカップの試合を観ていて、ずいぶん多くの選手がタトゥーを入れているなあと思っていたら、茂木健一郎さんも同じことを思われたようで、銭湯などでタトゥーを禁止しているのは、ワールド・スタンダードに照らして恥ずかしいから、そういう差別をやめろと言っていた。

知人にもタトゥーを入れている人が数人いるが、確かにイマドキのタトゥーには威圧感などは無く、スタイリッシュだなあとさえ思う。
装飾としてのタトゥーは、自己表現のひとつのスタイルとして定着した感がありますね。
民俗文化としてのタトゥーとは厳密に分けて考えるべきだと思うが、近年この国でも、こうした自己表現を身に纏うことへの抵抗感は随分なくなってきたようだ。

茂木さんの仰る通り、そろそろ銭湯や海水浴場でのタトゥーの扱いを考えなおす時期にきているのかもしれない。


1989年にリクルートに入社して、向ヶ丘遊園にあった寮に入った。
相部屋になった男は、大手の求人広告を扱う花形部署に配属になった。
男の僕から見てもかっこいい男で、仕事っぷりも惚れ惚れするほど際立っていた。

共用して使っていたスーツ掛けにかかっている彼のスーツはすべて紺だったし、ワイシャツも真っ白のものだけだった。それは部署の決まりで、彼らは厳しい服装規定を持っていたのだ。聞くと、靴も黒以外は許されないのだという。
僕らの部署にはそこまで厳しい服装規定はなかったが、それでも敢えて「自己表現」なんかのために顧客に負の心象を与えるリスクを背負う必要はないじゃないか、という空気が支配的だった。

しかし、そんな中にも服装の中に自己を投影することに揺るぎない信念を持っている先輩もいた。
広告制作を担当するその先輩は、客先に打ち合わせに行くときもTシャツだった。
ある時、替わったばかりの上司がそれを問題視して、次回は必ずネクタイ着用で行けと命じた。
先輩は、いつものTシャツにネクタイの絵を描いて、その上司と同行した。

先輩の仕事に信頼を寄せていたお客様は、上司に「今までどおりTシャツで打ち合わせに来れるようにしてやってください」と頼んだという。
そのように、リスクに挑んで打ち勝った人は、好きなように服装に自己表現を持ち込めばよかったし、そこまでのパワーをかける必要を認めない人は、スタンダードだが手入れの行き届いた服装を心がけていた。
厳しい服装規定は、何もなければだらしない格好をしてしまう人をきちんとした営業パーソンに仕立てるシステムとして作用していたのだ。

しかし、時を経るにつれ、安価でファッショナブルなシャツや靴が市場に出てくると、自然そのような考え方が古臭く思えるようになってくる。
省エネルギーのために、夏季にネクタイをしないことが容認されるようになると、真っ白いシャツはむしろファッション巧者のためのアイテムとなり、そうでない僕らは、一枚で着ておかしくないシャツ選びを余儀なくされ、そうなるとどうしてもその選択の中に「自己」が入り込む。
とはいえ、たいして難しいことじゃない。
似合うと思うものを選ぶだけのこと。
いずれにせよ、そのようにして、僕らはだんだん「こうしておけば大丈夫」という鉄板システムを緩めていった。
そしてその先に、「茶髪」と「髭」があった。

髭を生やしたまま営業部に配属されてきた新入社員を見た時にはさすがにぶっとんだが、ほどなく彼は僕の部下になった。
一緒に仕事をしてみると、ひとつひとつの仕事に独創的なアプローチで臨むタイプで、それまで信頼を得られなかったお客様から新しい仕事を取ってきたりする。
すべてのお客様と良好な関係を築けたわけではないが、それはどんな営業パーソンでも似たようなものだ。
僕は彼の髭を許容することにした。
周囲の人からは心配の声も戴いたが、やってみるのも悪くないと思った。

自分にそういう感性がまったく欠けているから気付くのがいつも遅れてしまうのだが、同じ頃、茶髪の男性社員も増えていた。
茶髪の方が、髭よりもハードルが低かったのだろう。
たいして問題になることもなく、一定の割合の人が少し髪を明るい色にして、実際華やいだ印象になって、現場でも打ち解けた雰囲気を作りやすくなるようだった。

そしてタトゥーも、そのまた延長線上にあるのだろう。
すでに書いた通り、知人の中にもタトゥーを入れる人が出てきたので、急速に僕の中での心理的ハードルは下がっている。


なんか、この認知の変化の感じ、どこかで見たなあ、と思って考えていたら思い出した。
ミュージカル映画の傑作「ヘアスプレー」じゃないか。

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1960年代のボルティモアが舞台で、そのころ街は白人のエリアと黒人のエリアに分かれていた。
ちょっとおデブなんだけど、そういうコンプレックスに負けない明るさを持つトレイシーという高校生の女の子が主人公。
白人の彼女が大好きなダンス番組で踊れることになって、その底抜けに明るいキャラクターで人気者になっていくのだが、番組の人種差別規定に反抗して、体当たりでみんなの偏見をぶち破っていくというお話。

2007年のリメイク版しか観ていないが、デブママを特殊メイクで女性になりきって演じたジョン・トラボルタ(!)のダンスも、相手役のクリストファー・ウォーケンの演技も最高で、 楽曲も文句なく素晴らしい。
そしてなんといっても、我々の心が無意識の領域に必ず持っている「偏見」への鋭い視線が胸を刺す。
後半のハイライトでもあるダンス番組への抗議デモ行進で、奴隷として連れて来られた過去に想いを馳せて歌われるバラードには何度涙したかわからない。

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人種差別の歴史を知る上でも絶好の名著である「ダーウィンが信じた道」でも、差別主義者の急先鋒だったアガシが、そもそも最初に差別主義に囚われたきっかけが、ヨーロッパ旅行の際、給仕としてテーブルについた黒人に「恐怖」を感じたからだ、と書いてあった。
思えば、配属されてきた髭の若い社員に僕が感じたものもきっと「恐怖」だったんだろう。
そしてそれは一緒に仕事をして理解することで、取り除かれた。
それ以降は、髭を生やした人も怖くなくなった。

今では、古巣の会社の営業課長さんたちにも髭をたくわえた人が増えているし、髪型も服装もずいぶんファッショナブルだ。

そうやって少しずつ、偏見は消えていく。
杓子定規なタトゥーへの対応が変わっていくのも、思ったより早いかもしれない。


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